影をひろいあつめて

毎日一言日記

会話3 新宿喫茶室ルノアールで/ ゴッホ後半

友人との興味深い会話を録音して書き起こすだけの企画第3弾

今回のゲストはHiraku。ロンドンで縁があって出会った。同時期に帰国し、帰国後新宿SAMPO美術館で開かれている「ゴッホ静物展」を2人で見に行った日の会話。ゴッホの生涯とアウトプットから見られる、クリエイティブとの向き合い方について話した。(後半)

 

登場人物:Hiraku→九州の大学院を卒業後アメリカに留学。株式会社konelにて映像や企画のプロデューサーをしながら自身で写真での向き合い方を模索している。

 

ーーーーーーーーーーー

カレーうどん屋から喫茶室「ルノワール」に移動
(珈琲タイムズに入店を試みたが、禁煙中の筆者には喫煙の臭気に耐えられず退散。)南口付近の地下に入るルノワールの店舗はベロアの丸ソファー椅子が対面に6席壁に沿って設置され、キッチン・カウンターの横側に簡易的な席がお手洗いに向かう通路に沿って何席か配置されている。モノクロの基調のユニフォームを着た店員から「好みの席へどうぞ」と案内をされ、どの席も絶妙な間隔で先客が埋まっており、座る席を30秒迷う。若い綺麗目の女性と60前後と見受けられる男性の座る隣の丸ソファー席に着席する。

さア:(メニューを見ながら)
あのさー、750円以上は850円でも970円でも1100円でも体感同じだよね。

ひ:わかる

5分雑談をしながらオーダーを悩む2人

店員:ご注文お決まりでしょうか?

さア:ブルーベリーヨーグルトフロート1つお願いします

ひ:2つで

店員:かしこまりました。

さア:どうだった?今回、ゴッホ静物画展行ってみて

ひ:それでいうと、初めにも話したみたいに僕は美術に対する文脈をまだ踏まえていないから、ゴッホに対して、もしくは静物画に対して言及することはあまりできないんだけど、人と共有できる項を出すとすると、あくまでも主観でしかないけど、見る側の教養というかリテラシーがある中で、キュレーションをする側か受け取る側の目線で展示を作るのか、というところは一つ面白かった。導入で手紙の引用があったときに話したことなんだけれど、見る側のレベルまで文脈を下げるのか、知の暴力というか、満身で伝えたいことをぶつけるのか、みたいなこととか。

さア:展示の在り方みたいな話かな

ひ:展示のキュレートとか、オーガナイズみたいな話とか
あとはさっきちさちゃん(筆者)が話してみたいな、布石、石を過去に置いてくる、みたいな話で、過去にログを残すことで今のレベルが1つ上がるみたいな、検証のログを残しておくということが価値を立証する、みたいな話は面白かったかな。

さア:あれフランスから帰ってきたあとイギリスで会ったっけ

ひ:パリ行く前と帰ってきてから一回ずつ会った

さア:そうか。なんかヨーロッパ行ってから本当にびっくりしたことは、美術館の収蔵点数の多さだったんだよね。まず土地がでかいっていうのもあると思うんだけど、ほぼ倉庫みたいな感じで。ルーヴルもたとえば中世からルネサンス初期、中期、後期、を経てロマンス、写実から印象派になっていくまでの絵画がざっと8世紀分、美術館の端から端まで並べられてるんだよね。それで、美術館ってある意味で4次元空間なんだな、と思ったんだよね。行ったり来たりできるっていう意味で。

ひ:えっと、要は、同じ空間に特定の時代を切り取った情報を行き来できるところが、3次元に1次元乗っかっているんじゃないか、みたいなこと?

さア:なんか、特定の時間を指定されたログの集積物を一つの場所で行ったり来たりできる、っていう点において4次元だなみたいな。

ひ:そうかも

さア:なんかたとえば、ダビンチの絵見ててこれってあの時代のあの流行の系譜かな、みたいなことを、少し歩けば確かめに行ける、とか。距離があることによって時間は生まれてしまうんだけど。ある程度その空間だけで体系づけることができるみたいな。
ちょっとランダムな話かもしれないんだけど、アールヌーボ、じゃないや、アールデコってわかる?

ひ:グータンヌーボ

さア:アールデコ、19世紀のヨーロッパの建築の流行りなんだけど、アールデコの収蔵量が凄まじくて。概要を知らなくても、たとえば100点くらい一気に早足で見て、ざっと共通項を洗い出してフレームをインストールできるみたいな。それから見るとディテールがめっちゃわかりやすい、みたいな。

ひ:勉強の仕方と一緒だね

さア:そうだね、まさしくそうだよね

ひ:俺が勉強する時も、一回全部洗い出して効率よく体系化するみたいな。効率よく選択と取捨して理論化するよね。

さア:そうそう!まじみんな一回美術館行った方がいいと思う。マジで勉強になるから。ああいう種類の美術館ってあんまり日本にない気がするんだよな。

ひ:大英美術館は帰国の2日前に気がついて慌てて行った。行ったって言ってもマジで中に入って空気吸ったみたいな感じなんだけど、一つだけ食らった作品があって。さっきも言ったみたいに自分はアートの文脈とか素養とかはあんまりなくて、美術館も勉強のために行かないとな、行くべきだな、と思ってるけど、娯楽としてアートに触れる、とかできたことがなくて。だから純粋に美術を楽しめている人が羨ましかったんだけど。多分ただただ、自分が見ている量とか、勉強量が違うから、面白さを見出せなくて当たり前というか、だろうし、だから今までアートを楽しめたことがなかったんだけど、そんな俺でも純粋にアウトプットとしてこれは、と食らった作品があった。

さア:ふむふむ

ひ:それっていうのが写真を用いた作品だったんだけど。20メートルくらいの幅がある大きな作品で、人間が生まれてから死ぬまでに消費する医療薬品、錠剤がズラッと並べられてる。ものすごい量の薬なんだよね。0歳生まれた時、1歳初めて風邪ひいた時、6歳親と公園で、みたいな写真と一緒に、それがひたすら生まれて死ぬまで並べらててる。特に大きなイベントとかはなくて、30で結婚して、50でパートナーが癌になって、みたいな、何の変哲もない人間の一生なんだけど。ライフ・イズ・ムービー、人生は映画だ、みたいなこというとよくいうじゃん、それがすごく腑に落ちたというか。なんか物悲しいっていうのかな、何者かになれなかった誰かの人生が、自分とこいつは何も関係性がないのに、その人の人生に物悲しさを感じたんだよね。人生ってただ生きてるだけで、だけどそれが映画だし、人生だね、みたいな。単純にこの過程は何を得たのかとか、どこに行き着いたのか、とか。大それたことではないことなんだけど、それでもいいんじゃね、みたいな。その中に何かしらキラキラしたものや、真逆のことだけど儚さも感じるし、すごく考えさせられる作品だったんだけど。

さア:あーーー、なんかそれ聞いてちょっとランダムかもしれないけど思ったことがあって。人間の歴史というか、人間という単位で時間を一つ大きく区切るのってやっぱり100年、1世紀が最大の単位なんだな、みたいな。人間の寿命が長くて100年だとすると、半世紀、1世紀が人間にとって丁度いいな、みたいな。またルーヴルの話に戻っちゃうんだけど、ルネッサンスの絵画群を見てると本当に、人が絵を描くということにおいて試みてきたプロセスが、100年単位で精査されていくのが見てとることができたんだよね。

ひ:長いタームで見ると系譜はあるけど、人間が個人単位で直接伝承できることの最大が100年単位なんじゃないか、ということであってる?

さア:んーー、いやぁ多分違くて、人類の絵画、みたいなものの蠢きを感じるっていうか。

ひ:人類の歩みってことか。

さア:そう!人類の歩みがみれた!こーんなにゆっくりとゆっくりと動いてきたんだな、みたいな。

ひ:なるほどね、なるほどね

さア:人間が12世紀ごろにできたことって、光をかくことだけだったのに、暗闇を描けるようになって、構図にしてもレイヤーを前中間後ろの3つのレイヤーで分けて物語を敷くことしかできなかったところ、だんだんと遠近法が確立されて、物語の下部構造をレイヤーの前後に継続させることができるようになっていくんだよね。

ひ:平面的な構造でしか描けなかったところを、前と手前だけではない描き方をできるようになったってこと?

さア:あ、というか、その絵があたかも現実の拡張であるかのように想像させることができる手法をとれるようになったというのかな。

ひ:絵の中で奥行きを正確に描けるようになったことで、より自然な光源に近く、リアリティを追求して描ける範囲が広くなった、より誰かの想像を現実の拡張として描きやすくなったってことだよね?

さア:そうだね、あれだね、これあれだね、構造力学でいう「亀裂が多い方が破損がしやすい」みたいな話だね、ポテチの袋の端は亀裂が多いから破りやすい、みたいな笑

ひ:ほんとだ笑笑

さア:でも本当に、ダビンチとかみてると、この人って暗闇発見した人なんじゃないか、と思った。それまでの絵も、だんだんと暗闇に対する解像度は高くなっているのは段階として感じるものの、残っていて展示されてる同時期の絵で、ダビンチほど暗闇を描いてる人って他にいなかったんだよね。そのことのダビンチの絵見てると「やべー!時代は暗闇描くことっしょ、みんな暗闇描いた方がいいよ、」みたいな気概を感じる。

ひ:え、影をつける、っていう表現の幅を広げた人ってこと?

さア:正確に誰が発見したとかではないと思うけど、その前後の絵を比べてみると、ダビンチ以降表現の幅が圧倒的に広がっているのを見てとれるんだよね。

ひ:それまでは光が光としてではなく、光を描くということに選択性がなかったが、影という対の存在を発見し描けるようになったことによって、光を描くということに選択性が生まれたということ?

さア:うん。影を描くためのカラーパレットって暗い限られた色で表現しないといけない分難易度が高いから、影を描けるようになるとその描画のテクニックの分だけ光を描く幅も広がったのかな、みたいな。
あと、光を描くということの持てる意味の幅が増えた?

親しい友達のストーリーズに乗せたんだけど覚えてるかな、大きな宗教画の話。これ(絵を見せる)

 

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ひ:や、見てないかも。この情報量で書いてたら多分見てたら覚えてる。

さア:あー、じゃあまだ親しい友達に入れる前か。
これ見た時、私これはルネサンス中期までにしてきたことの集大成だな、と思ったんだよね。

ひ:ふむ

さア:宗教画にとって最も大事なことって、その宗教が持ってる世界観に説得力があることだと思ってて。想像された世界の辻褄があってることが、信仰するための安心感につながっているんじゃないか、みたいな。という

ひ:整合性のとれたルールが敷かれていて、重力があるか、みたいな話だよね

さア:そうそう!それで、宗教にその安心感が必要なのであれば、宗教画を描くにあたっても、同じようにその安心感が敷かれていなければならないはずだ、と思ったんだよね。

ひ:なるほどね

さア:ってなった時に、下部構造がレイヤーに分断されずに継続して敷かれている必要があるはずだ、みたいな。で、この絵の場面設定として、下部構造が絵の手前から絵を斜めに横切って奥まで敷かれてるんだよね。これがまず宗教の土台を作っているな、と。それで、一番手前のこの信者と、一番奥に配置されている修道僧のサイズの違いで、距離を作り出していると。そのことで、この構造体がいかに大きなものであるかということを示唆することができてるわけですよね。で、この平行距離の長さが、この天井がとても高いものであるということが想像できる。この「いと高きところ」の「尊き光」の存在をより強調している、みたいな。

ひ:そうか、そもそもめちゃくちゃデカい絵だしね

さア:うん。で、注目してほしいのが、この最も手前でミサを見守る信者の描写で、この人たちの手前側、見ている私たち側に影をつけているじゃん、ここに影をつけることで、この天の明るさを対比で表しているんだよね。それによって、この中間部に配置されているミサを行う人々を照らしている光が、その天から賜って(たまわって)いるものだ、ということも同時に示唆(しさ)できるわけ。

ひ:あー、今まで光だけで100表すしかなかったけど、ベースラインを0とした時、暗部を−100で作れるから光は100で変わらなくても、効果として200「光」にできるのか。

さア:そういうこと!その宗教上の救いである部分の「光」の豊かさをより強調できる。

ひ:ふむふむ

さア:あと、もう一つすごいな、と思ったことは、この「天の光」が絵の中に独立した光源がある、ということ!画家側から立てられたライティングではなくて、絵の中から絵の中の世界を照らす光源があるんだよね、言い方難しい。この手前が影になっている信者がいることで、絵の外の存在である私たちも、その絵を見る時、その「光」を享受する人間の1人になれる、絵の中の人間の1人になったような気持ちになれるんですよね!

ひ:へーー。え、そういうことってそういう絵の解説とかを見て思ったの?それとも全部自分でそれ考えたの?

さア:解説とかは特に見てないかも。西洋史の大枠はインストールしてるけど、純粋にこの絵を見てこの絵だけから考察した。

ひ:俺この絵からそんなに考えたりできないかも

さア:宗教画はかなり勉強になったかも。やー、でもこの絵何しろデカいからね、見て欲しかったなーー

ひ:なんか、そうやって見ようとしてこなかったから見えなかったっていうのは絶対にあるんだけど。でも今読んでる西洋美術の歴史の本は、まだ1ページしか読んでないんだけど、既に興味深いというか、例えば美術の始まりが150万年前から始まってて、とか原始美術からエジプト美術まで遡ったところからの系譜のこととか、そもそもそのプロットを知らなかったから、既に「へー」がたくさんある。

さア:へー、150万年前なんだ、途方もねぇ〜

ひ:割と「アート」の枠組みとして見ると、高尚なイメージがあって、放任主義というか、感受性勝負みたいな印象があるけど、史実とか文脈の中の出来事として見ていくと、そこにある物理法則みたいなものに則って楽しむことができるんだな、みたいな。

さア:そうです!(人差し指を立てる)美術館は楽しい!

ひ:大英博物館で高校生とか中学生たちが床に座ってるのとか見て、青年期にこの空間でぼーっとするだけの時間過ごしたかったな、みたいな気持ちになった。

さア:あー、わかる。あとあの子たちめっちゃ床に座るよね。

ひ:うん。ああいうのいい。何もしないことが好きだから、その空間にいたい。アートを観にくる人たちを観に行きたい笑

さア:笑笑

ひ:結構ずっと入れるなーって。

さア:大英に行った時に感じたことと、今回ゴッホ行って感じたことには違いがあった?

ひ:んー、それでいうと、物から受ける感動はなかった。大英でみた写真みたいに非言語で圧倒される経験はなかったかも。でも自分が作る方の人間でいること、みたいなことを最近は考えていたから、気にはなってて。アートを言語として読み解く、実験のプロセスとか美術史の中の文脈から読み取れるおもしろさとか感じることはできたし、例えば果実の静物画のレファレンスとゴッホの描いたリンゴとカボチャの絵とかも

さア:あれ面白かったよね

ひ:うん、面白かったし、なんか、その対比の仕方というか、割とシンプルなロジックだな、みたいな、そういう気づきはあった。その静物画、という土俵で、例えば16-17世紀の、豪華な食卓に仄かに漂う少しの闇、みたいな光9:影1みたいな静物画に対して、ゴッホが影を描きながらその中の強い生命力、を描く、みたいなことを、魚だとか、いろんなサブジェクトに置き換えながら毎回繰り返してたじゃん?

さア:うん

ひ:そういう意味で、群として見ると難しそうに見えるけど、一つ一つの試みは割と簡単というか、意外と難しいロジックではないな、っていうか。割とシンプルに手の届くトライを積み重ねていったんだな、と。

さア:そうだね、その自分の経済水準と絵に対してかけられる体力、みたいな話にもつながってるよね

ひ:で、その公式って静物画というルールを理解した上で、ゴッホは敢えて逆転させたのか、それとも自然と試みた結果逆転したのかはわからないけど、そういう手順を踏んだものが、売れましたよ、っていう一つの答え合わせをされている、というのを見れたことはすごく面白かった。割とロジカルにアートというものを組み立てていけそうだな、というか、だから自分に置き換えてみると、展示の時にも話したみたいにデジタルとの向き合い方とか、試みの回転を早くしていくこととかにもつながってきてて、一つ自分にもできそうなものの指針が見えた感覚はある。で、俺が今やらないといけないことは、多分「知る」こと、流れを知る、フレームを理解することだな、みたいな。で開けられる引き出しを全部出すこと、みたいな。

さア:そうだね

ひ:うん、だから美術を見る、という時にあんまりそこに意味性を見出さなくてもいいのかな、というか。大英で見た時に感じたものが、純粋な感動だとしたら、今回のゴッホはスルメみたいな。自分で解釈すると旨みが出てくる、みたいな面白さだった。だから、質問の答えとしては、大英との体験とは違った、かな。質問の答えとしてあってるかな。

さア:うん、めっちゃわかる。あと、自分的に面白かったのは、自分達の見えてる目高の物事を描いたことが、対比を生んだり、文脈を率いているところ。その画家たちのリアリティが自分の周りにあるものだけだった、というのが絵を見て感じ取れるというか。裕福な画家たちは豊かな果実がリアリティだったけど、ゴッホにとってはそれが生活に即していないものだったし、ゴッホの食卓にあった洋梨やりんごたちが、自分との距離が近かった、結果的にそれを描いた、ということが、そしてそれが結果的にアンチテーゼというか、画家人生における試行になっていることがなんか、感慨深い。

ひ:ニシンの燻製とかね、土着な感じ

さア:やぁ、本当に面白いよ。ミレーとか、私ミレーそんなに詳しくないからどんな人間なのかとか全然わからないけど、有名なところで言えば落穂拾いとか、やっぱり絵を見てると、その社会に対する眼差し方が「きっとちゃんとご飯食べてる人」だな、みたいなものは感じるっていうか。落穂拾いしたことない人なんだろうな、みたいな。その民を見る視線に感じる。

ひ:お金がある人が不幸を探す感じというか

さア:なんか、あれだ、ミレーはおしゃれに古着着る人。ゴッホは普通に古着しか変えないし、普通に古着着てる人。

ひ:あーー、それが板についてておしゃれに見える人だ。

さア:そう、でもそれがおしゃれだから、とかじゃないの。着れるもの着てたら、みんながカッコいいって言ってるスタイリングになってた、みたいな

ひ:そうだね笑、そうだね笑

さア:スッキリ。てか今日って木曜日だよね、なんでこの時間空いてんの、世間ってもう正月休みだっけ

ひ:や、今日土曜日だよ

さア:え、今日土曜日?あ、あ、そうか、昨日金曜日だったもんね。曜日の感覚常にないな。

終わり

会話2  ゴッホと個人単位の生涯実験

友人との興味深い会話を録音して書き起こすだけの企画第二弾

今回のゲストはHiraku。ロンドンで縁があって出会った。同時期に帰国し、帰国後新宿SANPO美術館で開かれている「ゴッホ静物展」を2人で見に行った日の会話。ゴッホの生涯とアウトプットから見られる、クリエイティブとの向き合い方について話した。

 

登場人物:Hiraku→九州の大学院を卒業後アメリカに留学。留学中に新鋭クリエイティブ集団のCEOに出会い就職。映像や企画のプロデューサーをしながら自身で写真での向き合い方を模索している。

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ゴッホ静物画」展: 新宿SANPO美術館にて1月21日まで開催。

ゴソゴソごそ。(録音を回し始めた音)

さア:うん

ひ:ボソボソボソ(マイクが遠くて何を話しているかわからない)
〜していたと考えられるっていいな。

さア:「ここに書かれているのは大コウモリの剥製である。この剥製は、当時ゴッホ静物画を教えていたヘルメスが所有していたものと考えられる。」(キャプションを読み上げる)笑笑

ひ:当時この人から色々借りて描きまくってたからこいつのじゃないか、みたいな笑

さア:そういうことだよね

ひ:いいな俺も100年後にこうやって巻き込まれたい。自分の創作物じゃなくて笑

さア:確かに、この頃この人と連んでたからこの人のだと思う、みたいなね笑

ひ:笑笑。ビハインドシーンとか撮りたいのもそれかも。巻き込まれたい。

さア:目撃者でありたいということだよね。というか目撃者であったことを何かを通して証明したい、みたいな。

ひ:副音声で聞きたいよな。「いや、俺これあいつに貸してねぇ」みたいな笑笑

さア:はははは、聞いてみて〜笑笑

ひ:や、コウモリの剥製とか趣味悪、みたいな

 

次の絵に移る
6世紀の画家が描写した生の魚の絵が2点に続いてゴッホの描いたニシンの燻製の静物画が展示されている。魚をモチーフにした静物画はその時代の豊さや画家の経済的余裕の誇示や絵の技術力をプレゼンテーションするためによく用いられたと考えられている。

 

さア:え、モチーフって本当にモティーフなのかな。(キャプションに書かれたモティーフという単語について言及している)

ひ:それ違ったらすごいよね。thじゃないの?

さア:え、モthiーフってこと?(英語のキャプションを読みながら単語を探す)あ、いや、 tiだった。

ひ:あ、これユトレヒト美術館からなんだ。俺ユトレヒト謎に行ったんだよね。

さア:えー、いいな、てかあえてユトレヒトだけ行ったんだ笑
私、パリは日数が短くて有名な3つしか行けてない。ルーヴルとポンピドゥーとオルセイ?

ひ:や、ちなみに俺は美術館に行ってない。ユトレヒトに行っただけ笑

さア:どういうこと、行っただけってことか、はははは!笑

ひ:東京に行った、みたいな感じでユトレヒトに行っただけの人笑

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さア:てかゴッホってこうやって画廊とか美術館とか行って過去の作品をみて、「俺もこれ描きてー!」って言って描いてたんかな。

ひ:皮肉ってたんじゃない?

さア:あ〜でも確かに、魚って描画するのに技術力必要だよね。

ひ:燻製にするってことは全く違うゲームしてるのかな

さア:いやでも燻製でも描画の難しさは残ってるんじゃない?まって、ブドウかわいい〜〜〜(果物の静物画群に移る。ブドウを描画した表皮のテクスチュアがプルプルしていている。)ブドウ可愛すぎる....

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ひ:この並びでロブスター強いな。

さア:確かに、あとあのカニが所在ないね。

ひ:これって実際に生物自体をスケッチするのかな。つまり、こういう果物や生物(ブドウ、もも、いちじく、マルベリー、すぐり、ロブスター、カニetc)って劣化が早いし、物自体の色素の変化が早い中で、どの時点で観察をするんだろうね、っていう。

さア:確かに。でもこの桃の赤みの部分とか、ロブスターの赤さみたいなところとか、色味の鮮やかなところを見ると、ちょっと非現実的な気はする。実際に並べてこの色にはならないよね、みたいな。あ、これ腐ってんだ。

ひ:これ虫どこにいるの?

さア:え、いるよ、ほらアプリコットの上。

ーーーーーーーー

ひ:静物画って全部にピントあってるんだね。

さア:え、でも絵にボケ足つけるのとかリヒターくらいしかいなくない?わかんないけど。リヒターの蝋燭の絵があるんだけど、それは蝋燭にフォーカスがあってて背景が全部ボケてる。

ひ:リヒターって抽象画の人?

さア:リヒターはカラー写真が出てきてからの人。

ひ:それ昨日同僚に言われたんだよね。そもそもレファレンスをどこに見つけるかというか。自分は写真の抽象度を上げることに今は興味があるけど、それをリヒターみたいに写真からの文脈で起こしていくのか、みたいな。だからそもそも自分が「解像度を下げる、抽象度を上げる」ということを何を用いてしたいのかということを、本読んでみないとな、ってなって、だからさっき言ったみたいに今西洋画の歴史の本読んでるんだよね。

さア:確かにね、写真やるにしても何にしても美術、というか美術史の勉強めっちゃ大事だからな。ちょっとブドウが可愛すぎて。ブドウかわいいな、もう一回見にいこ。あぁ、このマスカットが可愛すぎる、、このさくらんぼとかもめちゃくちゃかわいい、持って帰りたいな。

ひ:持って帰ったら怪盗キットでしょ笑

さア:こうやって脇に抱えて持って帰るからね。笑 てか違う、あの絵の中からマスカットだけもって帰りたいだけ笑

ひ:そういうことね笑

さア:誰だー!マスカットを取ったやつは!つって、ゲラゲラゲラ

ひ:巨峰にしておくか。巨峰になってたら、いろんな界隈がざわめくだろうね。この時代に巨峰があったのか、って考察始めるよ笑

さア:なるほどね、美術から見える風俗史みたいなことだよね。

 

果物の静物画の並びでゴッホ洋梨静物画がディスプレイされている。

 

さア:あー、なるほどね、宗教の文脈でいう晩餐的な豪華さや豊さの中の諸行無常さとか、短命なものの待ち受ける腐敗の気配みたいなものを描くことが従来の果物の静物画のメインストリームだったところを、ゴッホは「食卓」の洋梨を描くことによって力強さや、質素さを描いている、みたいなことなのかな

ひ:うーん

さア:まぁ確かに当時のゴッホの経済状況とか考えればってことだよね

ひ:ね、他の画家お金持ちだよね。

さア:だからゴッホが単純にああいう豪華で高価な果物を用意できなかったってことなのか、

ひ:そもそも目線が労働者にあるか、みたいなところでもあるみたいな

さア:もしくは「豊さ」みたいなものを描くことに興味がなかったのか

ひ:それか豊な絵を描いてきた画家たちと住む階層が違うからあれをイメージするというか、題材にするということがイメージできなかったとか

さア:んー、そうなのかな、どうなんだろう。でもそういう静物画を美術館や画廊で見てきたからこれを描いているんでしょ?

ひ:そもそもインプットとしてこれを見ているんだもんな、そうだね

さア:純粋に頭の中で変換されちゃったのかな。「ぢゃあ僕わぁ」みたいな笑笑

もしくは、そのパターンの中から描かれていない題材として「農民の食卓」という静物画のジャンルを意識的に戦略的に行なっていたのか、純粋に地頭で計算外で計算していたのか

ひ:あの豊かな静物画をチープに感じてしまったとか?豊かな果物の中にほのかに感じる「死」みたいなものを書き続けていることに「これではない」と感じた、とか

さア:そもそもその従来の高価な果物や生の魚を描いていた画家たちの気持ちはやっぱり気になるよね。どうしても当人の置かれている経済状況を誇示したい、という意図はやっぱり感じてしまうというか。

ひ:インスタ映え

さア:確かに、俺これだけの果物買えちゃうんだぜ、みたいな。だけど、それに虫をつけてみたり、ほのかな死を漂わせてみることで、豊かさを誇示したいというやましさとかイヤラシさに対する贖罪を試みているというか、罪を免れるための免罪符みたいな

ひ:それをゴッホが見た時に安直だな〜って思ったんじゃない

さア:ギャハハハハ〜

ひ:おではもっと地に足ついたもので描くわ、みたいなバイブス

さア:でも基本的に全てが対照的だよね。モチーフが。高価で脆くて美しいけど、基本的には「役に立たない」ものたちじゃんか、だけどすごいもんねこれとか(ゴッホのラフランスの静物画とカボチャとりんごの静物画を指差す)すごい実用的だよね。ラフランスって安価だし、市場でみんなが買えて、痛みづらい。

ひ:本当だ、本当に対照的だね。ロジックでやってたらすごいな。

さア:こう考えてみると、金持ちって短命なものが好きだよね。短命さに高価を見出しているというか。色彩が鮮やかでハイメンテナンスなもの、もしくは保存が効かない、ということに自分の豊かさを認める、みたいな。

ひ:ビジュアル的に華やかなものが短命、という説もあるよね。華やかさに人は惹かれて、華やかなものは摂理として短命な性質を持っている、みたいな。

さア:ただなんだろう、短命さに値がつく気がするな。機能的ではない短命なものを所持しているということがある種、それをメンテナンスするためにかかるコストだけ、経済的な豊かさを主張するという効果を持っている?みたいな?

ひ:すると金て真逆だね。

さア:確かに、でも金がもし月から大量に採掘できるとしたら、価値は下がる?

ひ:下がるね。や、でも金は埋蔵量の希少性もあるけど、そもそもマテリアルとしての特性が金属の中で優れている、加工しやすく汎用性が高い、という点においても価値が高い。

さア:あー、そうかそうか、そういうことか。それも含めて価値が一定なんだな。このカボチャの力強さすげぇ、、

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さア:えー、おもしろ、ゴッホってやっぱ研究してんだね。カラースタディとか絵でできることを実験してる歩みの展示なんだね。

ひ:また手紙でてきた。(ゴッホが知人に当てて書かれた手紙についてキャプションでメンションされている)ライン見られてるみたいなことか。俺もライン読まれなたいな。

さア:そういうラインしないと、あと死んだ後にラインを民主化しないといけないよね

ひ:恥しかない笑笑

さア:でも全てのライン上のログが見れるんだぜ、会話が。

ひ:やっぱ、ゴッホ絵うまいな(レファレンスになった絵を見ていう)

さア:それゴッホじゃないよ笑

ひ:恥ずかしい笑 これホンモノ?(入り口で聞いた他の閲覧者の会話の反復。内輪ネタ)

さア:ゲラゲラゲラ
あれ、こんなでっかい絵あったんだ、ゴッホって!(1メートル×40cm四方くらいの花の静物画を見て)

2人沈黙、絵を鑑賞、キャプションを読む2人

ひ:ボクサー2人の絵の上にこの絵描いたんだね

さア:なるほどねー、面白いね(人物画を描きたかったがモデルを雇うお金がなかったため、静物画を描いて絵の実験をしていたゴッホは、人物画があまり得意ではない。人間のケーススタディした絵は学習量が足りないため、やはり技術力の差を感じる。ということを含めた「面白い」)

さア:パリのオルセイで印象派展をしていて、他のマネやモネ、ルノワールドガの並びでゴッホだけ違う部屋で展示されてるんだけど、印象派の他の画家たちは大きなキャンバスに色彩豊かな絵の具使って描いている。「いいメシ」を食っているんだろうな、という生活の豊かさが絵から見て取れるんだけど、ゴッホの展示をその後にみるとなおさら、その生活の格差みたいなものを感じてしまって悲しくなったんだよね。一番有名な星月夜の小さい方の絵が展示されてて、60センチくらいの小さい絵で、どう考えてもこの人天才なのに、どうしてこの天才にこんな小さなキャンバスに皆は描かせ続けることができたんだろう、みたいなことに思いを馳せたら、悲しみに溢れてしまった笑

ひ:あー、だから絵の上に絵を重ねて描いてあるんだね。

さア:そうそう。それも含めてログなのも面白いよね〜
ゴッホの絵って筆一つひとつに力がこもってて、満足感がありますよね〜
しかし頑なにこのタッチで描いてるのってなんでだろうね。

ひ:生き急いだんじゃない?

さア:えどういうことだ

ひ:他の人の絵とか、あそこまで繊細に詳細に描いてると時間がかかるじゃん。色々描きたいが強すぎて、描きたい、とかかる時間の一番合わさるところがこのタッチだったんじゃない?一番負荷なくアウトプットを続けられる手法というか。

さア:あー、なるほどね、大事だもんね、体力と相談しながら自分の最も研究対象のサブジェクトを自分の感情との齟齬が最も少ない方法で、回転を速く試みる、っていうことは自分もよくする。でも勇気がいるじゃん、絵が描けない人だ、と思われたらネガティブなプレゼンテーションになりかねないというか

ひ:そのための実験だったんじゃない?研究の一本筋を残す。実験の意図を試みてるそのログがあったから後世に残してもらいやすかった、みたいな。

さア:うーん、確かに、これだけ特定的な議題をずっと研究し続けているのは美術史の中でもかなり価値が高いもんね。

 

階下の展示に移動する

 

さア:やっぱゴッホってADHDだよね、見たこと全部人に手紙で話すじゃん。私みたいだな。あのねあのね、あれやばくて、みたいな。聞いて聞いて、つって、見たこと全部話さないといられない感じ笑

ひ:確かに、でも逆にそうやって思考のプロセスをログで残して行かないと評価をすることができないんじゃない?みたいなところにもまた繋がってくるよね

さア:そうだね、そうだね。手紙書くのって大事だな。

ひ:その手紙の中に評価しうる題材があった、というところとか

さア:わかるわ、だから最近ログを外付けハードに記憶していかなきゃな、と思ってんだよね。この絵かわい〜〜〜〜、この、法則に沿って筆を動かしてる感じ、この筆の流れ気持ちいね。(ルノワールの白い芍薬静物画を見て)

ひ:これはこの花とこの試みの相関性ってどうなんだろう

さア:それはどっちもなんじゃないかな、こういう試みをしてみたかった、その試みに合いそうな題材を選んだ、とか。もしくは幾つか試してみた実験の中で芍薬を選んでみた結果、これが最もその筆との相性が良かった、それが試みの文脈で紹介する上で最もわかりやすい例、みたいな。

ーーーーーー

さア:ゴッホの素晴らしいところは、ゴッホの個人的な興味でずっと研究している題材があって、それを研究し続けた人がどういう絵を描くようになったのか、どういう実験を踏んで、あるいはどういう思考のプロセスを得て、最終的なアウトプットを常に出して行っていたこと、その先にその絵がどういう評価を持つことになったのか、ということを一つの研究結果のパターン、一例としてこの世の中に残されていることだよね。ちなみにゴッホって本当は人物画描きたかったけど、モデル雇うお金なくて自画像描いてたんだって。

ひ:そのこと最近よく考えてるんだよね。自分のやってる表現方法が効率が良くないな、みたいな。トライアンドエラーをするという点においてはフィルム写真って最もコストのかかることだよな、みたいな。取り納めてから現像されたものを見るまでのラグの長さとか、現像にかかるコストみたいな話でもそうで。

さア:サイクルを早くしていくことは大事だもんな。デジタルで、マニュアルで撮ってればフィルムと同じことではあるもんね。

ひ:カレーうどんくいてー。

さア:カレーうどん食いてーんだ、いいよー。この絵かわいー!!私は可愛い絵が好きです。うんちしたい。。

ひ:笑笑

ーーーーーーーーーーーーーーーー

さア:また弟に手紙書いてる。ひまわりの絵描いたよ〜って笑笑
弟が一番の理解者だったからな。やっぱ、アナログの絵のいいところは絵の具の厚みだよね。

ひ:ティルマンスって写真家わかる?(ウォルフガング・ティルマンス)

さア:わかんない。

ひ:その人が写真で言ってて面白かった。

さア:というのは?

ひ:フランクオーシャンのblondeのジャケとってる人なんだけど、ビデオのインタビューの中で話してる内容なんだけど、彼は写真の展示をするときに、写真だけじゃなくて、写真の展示空間ごと売るんだって。この構図で飾れ、っていう。それは空間の中に存在している写真、二次元の電子データ的なあり方ではなくて、立体的な写真の在り方というか。やっぱり、次元を何かしら付け加えたいんだな、みたいな。

さア:んー、確かにね。写真ってデジタルでとってる限り、紙に出力してしまった時点で、デジタルでも紙でも変わんないからなー、みたいなところはあるよね。

ひ:やー、でも粒子感というか、出力方法にもよるけどね。インクジェットなのか手焼きなのかみたいなところで

さア:あーーーー、まあねーーーー、まあねーーー!

 

階下の展示に移動。

 

ひ:トイレあるよ

さア:あ、どうぞー、待ってるよ

ひ:や、君

さア:あ、あたし?あ、うんちか、大丈夫

ひ:あと8分しかないもんな。

 

さア:や、つまり。というのも、結局デジタルで写真を撮っているなら、デジタル写真はデジタルでみた方が互換性が高いというか、齟齬が少ない?出力するときに現れる「ラグ」というか「揺らぎ」みたいなものが少なくなる?みたいな

ひ:フィルムと比べて、ってこと?

さア:や、「デジタル写真を展示する」という行為において。デジタル空間ではなくて、3次元空間に出力する場合、ラグがいいこともあるけど、

ひ:ん、つまり、鑑賞するデバイス(モニター)の精度に依存しないってこと?

さア:あーーー、確かに、それはあるけど、違くて、
デジタル、という手法を撮る限り、さまざまな表現方法があるなかでデジタル写真という手法をとる限り、限りなく特定の時間を計算して撮るということを試みているはず、なのであれば、その計算された特定の時間の情報を最も元のデータとの誤差が少ない状態でプレゼンテーションする必要があるじゃん?そのためには、プリントする段階や、インクの互換性とか、そういうものによって生まれてくるノイズがあってはいけない、みたいな

ひ:あー、なるほどね、そうだね、情報の誤差で言えばそうだね。でも鑑賞環境、例えばウィンドウズのモニターで見るのか、高画質4Kモニターなのか、iphoneなのか、鑑賞環境をオーディエンスに任せたときに伝えられる情報量が変化する、という意味で言えばかなり誤差が生まれやすい状態ではある。

さア:あーー、デジタルカメラの持てる情報量に対してデジタルにおいての出力環境が一定ではない、追いついていない状態、ってことか。なるほどね〜。

ひ:その話をこないだもちょうどしてて、紙に出力して、空気抵抗のある空間で展示をする方法って最もデバイスに依存しない方法ではあるよね、今現在の裁量で言えば、みたいなことは話したな。

さア:その誤差を含めたデジタル写真であるかどうか、ということも重要だよね
やっぱこの人、人間描くの下手だね。(トルソーのデッサンを見て)

ひ:一番言われたくないと思うよ笑

さア:そうだよね、かわいそうだな。。人物描きたかったんだもんな...

 

蛍の光が館内に流れる。18:00

 

ひ:割ともうお腹いっぱいだな〜

さア:そうだね〜、カレーうどん食べに行こ〜

ひ:あ、トイレあるよ

さア:行ってくるね〜

 

前半(終わり)

 

 

会話1 -経験と助言について-

友人や人とした面白かった会話をベースに起こしたフィクションです。8割5分本当です。

 

登場人物

さようならアーティスト:筆者。

マット:家族経営のギャラリーで店番をする48歳。守備範囲→音楽、絵画、映画。

 

気温が0度まで下がることも多くなったロンドン、先週は初雪が降った。

友人のマットと、サウスウェストに位置するリッチモンド公園をドライブしながら。

 

-バタン(車の扉を閉める音)

-車が発車する

さア:昨日駆け込みでロイヤルアカデミーオブアーツに行ってきたんだけど、マリアなんとかって有名なパフォーマンスアーティストのエキシビションで、そのうちの一つにパフォーマーが12日間美術館に設置された部屋で暮らす、っていうのがあった。

 

マ:ロイヤルアカデミーは久しく行っていないけど、いい展示をいつもキュレートするよね。

 

さア:その部屋は展示スペースの1区画に舞台のようなプレゼンテーションで孤立した状態にあって、12日分のバスタオル、水、下着が用意されている。シャワー、トイレ、流し、ベッド、机、椅子、メトロノームとかバケツとかも置いてある。高さをつけた部屋に設置されたハシゴの足場は全て包丁で作られていて、そのミニマルな機能だけを残した舞台からパフォーマンス期間の12日間は降りられないことを示してるのね。

 

マ:実際にその場所で行われているんだ。

 

さア:うん。その中で、パフォーマーにはしていいこととしてはいけないことがルールで決められてる。しちゃいけないことは、発話、読書、覚書、食事。していいことは、歌を歌う、水を飲む、シャワーを浴びる、排泄。してはいけないこと以外は何をしてもいい。

マ:面白いね、そういうパフォーマンスを以前見たことがあるよ、毎日断食し続ける、とか丸太の上に座り続けるとか、すこし狂気じみたパフォーマンスだよね。それでどう思ったのかな?

 

さア:興味深かった。というのも、そのパフォーマンスを見初めた初めのころパフォーマーはブリキのバケツをただ部屋の端から端まで執念というくらい時間をかけて移動していて、これはダンスパフォーマンスの一部なのかと思って最初私は結構白けた気持ちで見てた。だけどルールを理解して、その精神状態を想像した時に、いかにエンターテイメントや人間の営み、刺激を制限された状態で12日間、1008時間の時間を過ごすか試された時、「あるもの」でインタラクティブ性を生み出そうとしているんじゃないか、と言う仮定が生まれた。そう考えたらその展示を鑑賞する時間が途端に自分にとってとても面白いものになったんだ。テレビよりも面白い。リアルタイムのドキュメンタリーだし、極限状態になった人間がどのように過ごすのか、という目撃し得ない実験が目の前の事象として観察できるわけだからね。同時に観察者と被観察者がある意味共犯関係であるような、お互いが介入し合っているという関係性も興味深かった。そういう人間のことを目の前で見ることは希少な体験であるし、だからこそ同時に私もその実験を自分でやってみたくなった。

 

マ: なるほどー。ファスティングはメディテイションとしてもよく用いられているよね。食事を制限し始めた始めの3日は狂いそうなくらい食事を求めるけどそれをすぎたら食事を必要としていないことに気がつく、とか、空腹状態によって今までに気が付かなかった感覚が研ぎ澄まされたりだとか、そういう話を聞いたことがあるよ。ある種のトリップ体験と類似するものがあるかもしれないね。

 

さア:まさしくそうだよね。よくそう言う経験談は聞くよね。もちろんそういう体験も興味深いんだけれど、でも私が言いたかったのは、それよりも、自分の興味対象は最近気がついたことに基づいていて、それは「体験したことしかわからない」ということなんだよね。学習したパターンやファクトを精査していけば、ある程度想像で感覚を補うことができたり、わかった、に近いところまで近づくことはできるんだけれど。身体的に痛みを感じることをある程度経験する、例えば躓いて転んで擦り傷を剥いた、腕を折った、突き指をした、と言う痛みの感覚を経験を積み重ねてある程度想像ができるようになる。あの高さから落ちたら痛いだろうな、みたいな。でもたとえ想像ができたとしても、実際に10メートルの高さから落ちて見ないことにはその痛みを経験することはできないことと同じように、実際に経験したこと以外は実際にはわからないよね。伝わってるかな。

 

マ:わかるよ。でも同時にこういう表現もあるよね。「満腹の時に空腹の時の気持ちを思い出すことができない」目の前に充分の食事がある、それをひたすら食べた、君の胃の中に食事が満たされている。もう2度と食事なんか食べられないよ、と言うくらい食べたと想像してみて、その時に空腹だった時の感覚を思い出すことができるかい?できないんじゃないかな、お腹が空いていた時の飢えた感覚や、食事を欲する自分の欲望をもう思い出すことができない。だから実際には感情的な記憶として覚えていることはできても、身体的な記憶として記録することはできないんだ。それは幸運なことでもある。今現在体験していること以外は全て経験に基づく想像でしかないんじゃないか、みたいな。

 

さア:それは確かにそうかも。んーー、けどそう言う意味で言うなら、経験したこと以上の想像はできない、と言うのが正しい気がする。そういう意味で、12日間必要最低限の生活環境の中でファスティングする、という事柄は、観測してわかることと経験してわかることは凄まじい違いだと想像した。その経験は最もレアだし、世の中のほとんどの人はそれを経験することができないとすると、それはとてもレアで価値の高い経験なのではないかと思った。そうやって自分だけの経験を積み上げていくことが大事な気がしてて。

 

(しばらくの沈黙)

 

マ:この表現わかるかな、前にも話した気がするんだけど、「本当のウィズダムっというのは、誰かに良いアドバイスすることよりも、アドバイスからプロフィットすること。」プロフィットってわかるかな。

 

さア:んー、わかんない

 

マ:ベネフィットって言ったらわかるかな。

 

さア:んー。

 

マ:んー、つまり、誰かにアドバイスする方が簡単なんだ。ああした方がいいよ、こうした方がいいよ。bruh bruh, 僕も誰かにアドバイスできる。さっき君にしたみたいにね。「車道を横切るときは左右に注意して渡りなさい。」なぜなら僕は君より賢いからね。笑

でも本当のウィズダムウィズダムはわかる?ワイズ、ウィズダム

 

さア:あー、うん、ウィズダムはわかった。

 

マ:本当のウィズダム(賢者)はみんなからアドバイスを摂取して、それを理解するんだ。ここは理解できた?

 

さア:うん

 

マ:つまり、「私は賢者だ、なんでも知っている、だからアドバイスをあげよう」って人がいるでしょ、それは誰にでもできる。賢くなった気持ちになるにはいい方法だよね。でも本当の賢さっていうのは、人のアドバイスを自分の中に落とし込める人だよね、それからベネフィット、プロフィットできる人なんだ。それが僕が聞いた諺。

 

さア:わかるかも。いつも考えるのは、年寄りは説教したがるし、若者は説教を聞きたがらないじゃん?若者はいつも、ウザがったり年寄りの戯言だっていいがち。

 

マ:ハハハ、わかる

 

さア:でも私いつももったいないな〜って思ってて。確かにどうしようもない大人が何か言おうとしてるの見て、なんか言ってんな〜とか、聞く価値あんのかな、みたいなことわからなくもないし、特定の経験においては私よりも経験値が低いな、とか、長けていないなと私が感じる大人がいたとしても、彼らが経験したことは私とは全く別の体験であるし、もしかしたらある部分においては私が経験できなかったことを私よりも長い時間をかけて自分よりも多く積み上げている可能性があるよね。

 

マ:そうそう、それはなぜなら長く生きてるからね。

 

さア:まさしくそうなの!自分はその年数生きたことがないし、その人が得たことが知識であることには変わりがないな、と思ってて、私はそのアドバイスとか「えー聞いたらいいじゃーん」と思ってるし、年寄りのアドバイスはありがたく聞くようにしてる。

 

マ:僕が言いたかったのはそういうこと。それは君が賢いということだよ。つまり、アドバイスに耳を傾けないってことは、自分が経験できることを自分はわかれるけれど、人の経験を聞くことはできなくなるんだ。それが面白いことだよね。

 

さア:でも正味大体はみんな私がもう知っていることをしゃべってるんだ。

 

マ:ハハハ、そうだろうね、君はたぶん君の歳よりも経験が超越しているから。

 

さア:笑笑。だからいつも大人だからって賢いわけじゃないんだな、って思うんだよね。

 

マ:まったくだよ。僕もたくさんのファッキンステューピッドな大人に会ったことがあるよ。本当にろくでなしみたいなね。でも彼らはみんな自分は賢いと思ってるんだよ。ただ単に歳を取っているというだけで。

 

さア:あはは、そうだね〜。でも同時に人間は人に教えるということが好きだということもわかるんだ。いい意味でね。

 

マ:そうだよ、人に教えるとポジションが取れるし気持ち良くなれるからね。

 

さア:えー、そんなこと思ってるのかな。でも私が言いたかったのはそういうことじゃなくて、人に教えるってことは、知の継承だと思うってこと。失敗したことを口頭で伝承できるから人類が進化してきたと思うし、アドバイスする、という行為が人間たらしめる大きな要因である気がしてて。人類史がダンジョンみたいなものだとすると、先に死んでった人たちと同じ道を歩いたら死ぬ、それをわかってて同じことをする必要はないというか、同じことしてるとみんな死ぬ、っていう。だからアドバイスを与える人の心持ちがどうであれ、「アドバイス」って基本的には「親切心」だと思うし「ダンジョンの攻略法」だと思ってて。

 

マ:大抵の大人は気持ち良くなりたいだけだと思うけど。

 

さア:それって変だよ。人のためにしてるんじゃないの?あのさ、私の場合、人にアドバイスするってすごくフラジャイルだし介入するってことだからいつも躊躇うんだけど、年が下だったりすると特にね。私って別に何者でもないし。でも私があえてアドバイスするときはいつもその人の豊かな人生を願って口に出すことが多いよ。人生は短いし、もっと遠くまで深くまで到達するために失敗の試みを最小限にしてほしいからなんだよね。でも難しい、時に失敗することの方が学びの深さが深いことがあるから、失敗したらいいんじゃない?とも思うし。

 

マ:祖父が一つだけ僕にアドバイスをくれたことがある。祖父のことは話したことがないよね。

 

さア:聞いたことないかも。

 

マ:祖父は僕にとても偉大なアドバイスをくれた。世界にいる人々について彼は説明した。

「君にとてもいいアドバイスをあげるよ。百社百様の人生がある中で、誰にでも平等にたった一つ無料で貰えるものがある。それはアドバイスだよ。」

 

さア:間違いなさすぎる笑笑

 

マ:だからそれを使いなさい、ってね。

 

さア:100%同意する。

 

マ:わ、あの女の人、爪クレイジーなオレンジ色してる。

 

さア:明るい色だ〜、眩しいね!

 

マ:彼女にアドバイスしようかな、その色はやめた方がいいよって。

 

さア:余計なお世話すぎる笑笑。好きな色つけたらいいんじゃない笑笑。

 

交換日記vol.1 「家で暮らす」

絵: Taiyo Nobata 文:さようならアーティスト

f:id:midnightdancingcrew:20231021090331j:image

20/10/2023 

市内にいることに疲れ、減っていく預金額を見ながら帰国が近いことを考えていた。せっかく遠くまで来たのだから、と気温の下がってきた頃に北英に足を伸ばした。キングクロス駅から国鉄に乗ってエジンバラグラスゴーと順に足をつけ、市内でそれぞれ1泊から2泊する。初めの数日は空も機嫌が良く、気持ちのいい秋日和だったが、エジンバラを離れる3日目から雨が降り続き、横殴りの風に見舞われていた。低気圧のせいか朝から元気がなく、雨を含んで重くなったコートと、歩くたびに指の間を水が音を立てて吹き出す不愉快な靴のせいで、グラスゴーに着く頃にはしっかりと気持ちが落ち込んでしまった。「チェックインお願いします」レセプションで声をかけると聞き取りの難解な英語で返される。「すみません、もう一度いいですか?」耳を傾けて良く聞くとそれが顔つきのIDを示していることがわかる。まるで違う言葉みたいに聞こえる。同じ国なのに、と不思議に思う。旅行アプリで予約したホステルは一泊たったの20£で、暖房はなく風がたまに吹き込むが、恐らく今まで泊まったホステルの中で最も「家」らしかった。ロンドン市内のホステルはほとんどが男女共用で、シャワールームは黒カビが生えているか、そうでなければシャワーの水圧が低いかのどちらかで、大抵は床が常に濡れている。客室は他人の汗の匂いや生乾きの服の匂いで充満し、ベットにめいめいのコンセントがないところも多かった。石造りの古い建物はエレベーターがなく、私はホステルを変えるたびに大きなスーツケースを抱えて、気の遠くなる数の階段を上らなければならなかった。20人部屋のドミトリーでは様々な時間に眠る人がいて、基本的に部屋で落ち着けることはない。ロッカーは占有されており、貴重品やラップトップやタブレットを全て入れたナップサックを常に小脇に抱えて、ラウンジやチルアウトルームで過ごすことが多かった。グラスゴーのホステルでは、4人部屋の女性ドミトリーを予約できたが、やはり部屋で自分勝手に電気をつけたり音を立てたりすることはできないから、濡れた服を着替えカフェテリアに移動する。ざっと入口から150平米はある殺風景な部屋を見渡し、集団から離れたソファ席を見つけて陣取る。酔っ払いのメタボリックな年老いた男女がチップスをつまみながら、テレビでハロウィン特集をみている。汚い床に寝転がって携帯をみている男がいて、その近くの席では2人の女が大きな声で世の中がどんなにクソかと言うことを話していた。「羊のような人たちに私たちのことは理解できないわけよ」「全くもって」それを横に聞きながら私はソファに沈み込む。乾いた暖かい服を着て、ソファ席に座れたら充分なのだった。

 街の破片をいつも探している。好きな路地、好きなカフェ、好きな窓、好きなベンチ、好きな光。「ここではないどこか」がいつも気になる。好きな破片を集めて私は自分の街を作っている。私はどこにも呼ばれていない気がする。

 ただ遠く離れてみたくて色々な理由にかこつけて全てを辞め、そうやって「エイヤ」をして、飛行機に乗ったり電車に乗ったり人に出会ったりする。自分のことを話した人にも話さなかった人にも出会う人には「勇気があるね」と言われる。勇気があるね。口に出してみる。「Brave」勇気があったって人と仲良くなれないなら意味がないのに。


 文章を書くことはスケッチに似ている。映像や音楽と違って「見えない」し「聞こえない」から、「見える」ようにも「見えない」ようにも書くことができる。「聞こえる」ようにも「聞こえない」ようにも書くことができる。文章を書くことは私自身と紙とペンさえあれば場所も時間も関係なく、私はたった1人でそれを試みることができる。おしゃべりが得意ではなくても、他人を「お家に入れる」ことができなくても、何ら問題はなかった。

 時々、目を閉じてスケッチをする。街や建物や人の行き来を、耳と肌と鼻だけで「見て」みる。聞こえて来る人の声や空気の振動や風を頼りにその人がどのように振る舞うか、どの様に歩くのか、街はどんな匂いをしているか、どんな言葉を使って話すのか、目が見えなくたって「見える」ことはたくさんあるのだと言うことを思い出す。

「ねぇ、あなた、大丈夫?」目を閉じていたら微睡んでいたらしい。後ろで大きな声で話していた女性が私の肩を叩いていた。「大丈夫、すごく大丈夫だよ、あなたは大丈夫?」突然の他人に驚きながら聞き返す。「大丈夫、あんたなんでそんなに悲しそうな顔してるの?なんでだろう、あんなのことを見てると悲しい気持ちになる」心配しているのだろうか、なぜそんなことを聞くのだろう、と不思議に思う。「悲しそうだね、」と言われる。いく先々で出会う人は私にそう言う。そう言う慣用句でもあるのかと思ってしまう。

「本当に大丈夫、悲しいことなんて何もない。もう夜遅いからいい夢を見てね」

 グラスゴーで迎えた朝はやはり寒くて、おまけに窓の外は風と雨が吹き荒れていた。BBCではグラスゴーでの嵐がストリームされていたらしい。イギリス人が教えてくれた。9階の部屋からはグラスゴーの街が遠くまで見えて、路地裏はゴミや吐瀉物が吹き溜まり、より一層汚くて色のないつまらない街に見えてしまった。

 1日の街歩きを早いうちに諦め、ホステルのロビーで締め切りの過ぎた原稿を書き、夜になるとマンチェスターに移動するためグラスゴーセンターからロンドンまで走る夜行バスに乗り込んだ。チケットの買い方がわからず駅員に尋ねたら、券売機はなく、ネットでしか買えないとのことだった。乗ろうとしていたバスはもう受付を締め切っており、次のバスは夜中の3時前に駅に着く。初めての夜行バスだ。

 乗客たちは中東や南アジアの人々が多く、バスが出発してまもなくの頃はみなそれぞれの言語で何やら話し、賑やかだったが、モーターウェイに乗ってからは徐々に口数も減り、寝静まり返った車内にバスが風を切る音だけが聞こえた。街が離れていく。遠くに見える街の明かりを見ながら、こんなところには2度と来たくない、と思う。何も見てはいないのに、何も知りはしないのに、私は2度と来たくない、と思う。

Title"somewheremagazine" essay for naz. magazine

(Magazineのサーバーのリンク切れのため転載)

デカい人間になりたいという気持ちは今でもある。もはや恒星間天体になりたい。いきなり突飛な場所から飛び出して、一瞬のように通り過ぎていく。走って行った軌道に学者が首を傾げて熱心に議論を繰り広げる。ハワイの青い海に囲まれた岩場の天体観測レーダーでたった数人が目撃した事実に学者たちが胸を高ならせる。世界中の天体ナードがヒソヒソ声で宇宙人に夢をはせた。私はオウムアムアにずっと嫉妬している。


 久しぶりの休みの日には夕方まで眠ってしまって、せっかくの休みを有意義に過ごせなかった事が許せなかったので、急いでシャワーを浴びて冷たい雨が降る外を走って電車に飛び乗ってしまった。雨の日の電車は湖を渡っていく鉄道のようで、窓の外を覗けば気高い青龍が見えるような気がする。龍は気泡を出しながら紅い淡水魚の群れと窓の外を進行方向に泳いでいく。龍が体をくねらせて泳ぐ度に口のひげが揺れて、鱗は電車の窓から漏れる光を受けてヒラヒラと光る。私は座れなかった電車の中で、窓からそれをじっと見て、窓際の空気を吸う。胸がひんやりとした。水はどこまでも循環して途切れず繋がっているのだと思った。


 電車という手段を使ってする移動は時間の流れを少しだけ遅らせる。人間が人間の体で出し得るよりも速い速度で長距離を移動することが出来るなんて、電車を考えた人はきっと走るのが遅い人だったに違いない。そこそこに混んだ上りの電車に揺られてスクランブル交差点の前に降り立ち、どっと押し寄せる人の間を抜けてイルミネイトされた道玄坂を上がっていく。開いた上着から入り込む空気はだいぶ冷たくなった。


 理想からは遥か遠くに置いてけぼりの、小さくて醜い私はそれでも大きく見せていたくて肩で風を切って歩く。ダーツバーの階下にある構えの良いカフェバーに常連かのように入る。長く広いバーカウンターに座ると、コーヒーの飲めない私はイングリッシュティーのホットを頼んだ。これからたった一杯の紅茶で何時間も居座ろうとしている私に、店員は私がまるで一流大学の教授かのように、淹れ立ての紅茶をそっと置いてくれる。店員が身に纏った白いスタンドカラーのユニフォームは彼女の背筋を真っ直ぐに見せている。赤みの照明が陶磁器の丸いポットを乳白色に染め上げた。ひとつ口に含む。上品で奥行きのある味がそこにはある。きっといい紅茶なのだろう。

 店内には様々な服を着た様々な関係性の人たちが何名かであるいは1人でいる。着ている服装も、話している或いは作業の内容もみなバラバラで、そこにいる人々全てにとって見えている景色は違うのだろう。


 もう人々はウィルスの存在をおとぎ話の様に聞いている。感染者があの時の何倍に増えていてもスクランブル交差点は一年前のクリスマスと人通りはさほど変わらない。あの頃に街中を襲った恐怖は通り過ぎたのだろうか。また同じ日々が戻ってきたのだろうか。否、同じ景色を保つことはいつも不可能だ。

 大手IT企業が渋谷ストリームに入ったばかりの頃は、ガラス張りのオフィス一帯に煌々と明かりのついていた西側のエリアも、今は窓から明かりが消えた。景色は誰の目にも歴然と変化した。どうしてだろう、変化した物事に直面するたびに心の痛みは否めない。


 公園通りの小さなオアシスが白いパネルに囲われてしまった時も、マークシティ下のコンビニの前の警備が強化された時も、心臓が炙られてしまったような、焦りにも似た気持ちがついてまわった。見慣れた景色を失うたびに悲しい気持ちは免れない。つるんとして無駄のない除菌された世界になっていくような気がして、例えばそれは必要で、良い方へ転換するための変化だったとしても、身が引き裂かれるような気持ちにさえなる。


 ちょうどポッドから注いだ2杯目の紅茶が冷たくなって、カップの底が見える頃にウェイターがやってきて退店するべき時間が来た事を告げられた。カフェを出ると浮かれた群衆が点描のように往来していく。寒さに首を竦めて私は埋められてしまった恋文横丁の横をスタスタと降りていく。栄えた町には忌々しい過去の歴史が横たわっていようが私には関係がない。どうか私を責めるのはやめて欲しい。


 また電車に乗る。ICカードの少なくなっていく残高に見ないフリをして、社会化された乗客の列に並ぶ。この電車はいつも座れない。


 ビルや道路が車窓の外に流れていく。街に積み重なった水滴が電車から洩れる光を受けて発光する。いいなぁ、キラキラしていて、と思う。ポケットに詰めて部屋に持って帰りたい。「またゴミを集めてくる」と親や兄は呆れるだろうが、光っているものは私にとってどうしても魅力的だ。


 最寄りの駅に着くともう雨は止んでいた。駅で1人でいるこの時間に、たった今この場所で何も理由がないのが自分だけのような気持ちになって改札の前に立つすくんでしまった。そうやってしばらく透明になっていたら、知らんジジイに通りすがりにぶつかられて舌打ちをされた。悲しみに対して優しくしたいのに、自分が悲しいと思う気持ちを嫌いという言葉に置き換えてしまいそうになる。嫌いだ、嫌いだ、嫌いだこんな場所。


 ジジイを追いかけ回して謝らせたり、叫んだり噛み付いたりしようとする元気もなくて、とりあえずマスクの下で変な顔をしてからイヤホンで耳をふさぐ。ブリトニーの音楽なんかかけて、人通りの少なくなった道を上を向きながら歩いた。東京の空に星が出ているのをあまり見たことがない。星をみるには町はあまりにも明るすぎるらしい。

2020/Dec

まちのひかり

 タングステンの通路照明が窓の端に流れていく。私は高速道路を走る車の後部座席にいて、みんなはぐっすりと眠っていた。車の外はやけにオレンジ色で、焼け野原のようだと思った。海の向こうで戦争が始まった。

・・・

 朝寝坊を危惧しながら清々し青色の朝を迎えたらロシアが国境を超えていた。不気味な色の甲羅で身を包んだ戦車が石造りの街中を列を連ねて走る。昼夜構わず鳴り響くサイレンは病院の医療室にも、バイオリン教室にもワインの酒蔵にも学校の教室にも届いた。

 

空から

    星が

       たくさん落ちた。

 

家を追われた人々は街を出て移動を始めた。アメリカが介入した内戦や紛争は今までもたくさん起こってきたが、国連加盟国が対国戦争を始めるなんて思いもしなかった。

・・・・

 わたしのまちではストーリーズにいつものような日々が連ねられた。

小学校では15分以上マスクを外すと濃厚接触になってしまうのを防ぐために、14分と59秒で給食を一度中断するランチタイムを続けていて、オンライン授業になった学生たちは街に遊びに行った。

 本当はね、と話そうとしたら笑われた。知らなくていいよ、とあなたは笑う。

知らなくていいよ、君のこと。

ガソリンが高くなっていた。

ベルギーでフライドポテトが値上がりした。

ずっと緊張している。

・・・

 当たり前のことを言わないと当たり前のことは当たり前ではなくなる。

その速度は早い。イッセーノで終わりにする勇気がみんなに必要だった。

歴史と現在はどこまでも地続きだから「政治」は「難しい」。単純に「〇〇だ」と指差すことはできないけれど、私たちのレベルだって言えることはたくさんある。

話すこと、話さないこと、言いたいこと、言わないこと、それぞれの選択があってもいい。それくらいのことはわかっている。

・・・

別に言わなくてもいいよ。君のこと。

・・・

選択は尊い、その結果も等しい。

等しいが選択には必ず結果がついてくる。食べ物を食べたときに便をせずははいられないことや、水を飲む、という行為と、「水」が「飲む」と切り離すことができないように、いつもそこにあるものだということを意外と忘れてしまう。

言うこと、言わないこと、全部が選択だと言うこと覚えておきたいよ。

・・・

「王国」や「誰か」はいないから、利己ではなくてローカルなハグや、ソーシャルな距離の内側のコミュニケーションに向き合う。

考えることは権威ではないと言い聞かせている。

・・・

この道を歩いていた。

花束だけ残して石ころも錆びてしまった剣も傷つけられてしまったリュックサックも全部なかったことにして人と出会えたらいいのにといつも思う。

純粋な好奇心と、疑いのないまなこで文学を交換し笑顔で手を繋ぐ、星が降る日を迎えにいくから

・・・

底の方には水が満ち満ちていて、いつの間にか息をするのを忘れていた。肺の中に水が溢れて苦しいときは左右を見渡すこと。空で生きて生きたいたいから鳥になりたい。カモメの渡海を見た。円を描いて空をみた。空で生きて生きたいから鳥になりたい。

パーティーの後で

Party archive

Leave away from pain.(痛みから遠く離れて)vol.1

f:id:midnightdancingcrew:20231021231301j:image
街のことが知りたかった。蠢いている海底の光のこと、なにかを売ろうと笑顔を向ける電光掲示板のこと、ハチ公前で懸命に訴えている人のこと、悲しそうにタバコを吸っている人のこと、底抜けに明るい笑い声で通り過ぎていく制服の女子高生たちのこと、本当のこと。


 ここは少し変な場所だ。人の顔の印刷された紙があまりにも大きな価値を持つ。人が人を選別して取捨することが当たり前に行われる。人の行動一つ一つに値段がつく。相手の腹を探って裏をかくことばかりが重要になって、目の前にある表情を見ることをやめてしまう。それに飲み込まれて、私はわからないことに分からないと言えなくなる。

 

 パーティーが終わった。


始まりは映画だった。映像作品のためにパーティーが必要だった。人が本当に楽しんでいるところで撮影する必要があって、それはエキストラや設定されたものではどうしてもダメだ、という私の意固地だった。


 やることが山のようにあって、いつも時間に追われていて、ある意味ずっとハイだったのだろう。あまりよく眠れなかった。起きていても眠っているみたいで、眠っていてもいつもうなされていた。

 うまくいかなかったらどうしよう、人が来なかったらどうしよう。あまりにも物事を大きくしすぎた。撮影部の先輩にも好意でスケジュールを空けてもらってしまっていたし、たくさんの人に声をかけていたから、今更引き返すことはできない、とひたすら足を前に動かすしかできなかった3週間だった。

撮影を成功させるためにはパーティーが成功する必要があって、パーティーが失敗することはつまり撮影が失敗することだった。


反省するところはたくさんある。

伝わっていると思っていたことが伝わっていなかったり、伝えておかなければならないことを忘れていたり、手伝ってくれる人と一緒に何かを作っていく、ということがもっとできたんじゃないか、とか、思ってくれる気持ちにもっと添えればよかったなとか、思い出せば後悔することや反省することばかりだ。


本当はパーティーを主催するつもりはなかった。パーティーの様子が撮影できればよかったし、私はパーティーみたいに華やかな人間ではない。根が暗くて、感情表現が不器用で、インドアで、友達との約束でさえ家の外に出られなくて半べそをかくような人間で、コミュニケーションにも長けている方ではないから、うまくいくわけがなかった。けれど物事は物事を呼んで、いつの間にか抱えてしまったデカい負債のためにいつのまにかパーティーを主催することになってしまった。


私はパーティーを主催したことはない。政治的なイベントは何度か企画したことがある。 16-17までは手伝いで、17の時に一度主催で、その後も手伝いを何度か。わかりやすく「子供」だった時はなんでも許されていた気がする。周りの大人が甘い顔をして大人の知識を使って手伝ってくれて、私はそこで何かをしたような気持ちになった。愛想を尽かした大人もきっといたが、私はいろんなことに気がつかないから失敗しても成功してもヘラヘラとしていた。その度に大人たちは「コドモだから仕方がないか」という顔をした。「仕方がないか」


あれからはずっと「仕事」をしていた。大きな声を上げることに消耗して、それに大きな意味を見出せなくなった一定の人々は門の近くから離れて学校へ行ったり海外へ行ったり仕事を始めた。私は、毎朝早くに電車に揺られて、眠りながら夢を見みた。飛行機に乗っていろんな人やいろんな物事をみて、自分の時間に対してお金をもらった。それで生活をした。小さな部屋の小さなベッドで眠って、ご飯を食べた。給料は多くなかったが仕事には責任がついて回った。責任を持ちなさい、責任感を持って仕事をしなさい、責任が必要だ、

仕事をしていた4年間はあっという間に過ぎて、私は22歳になっていた。


4年間で物事は代謝する。何もかもが変わった。町中の人はマスクをつけ、体育祭典は無観客で行われて、20時以降街から明かりが消えた。明るかった人たちはうつむき、俯いていた人たちはもっとこうべをたれた。公園は建物の上に、ブランコが無くなってしまったかわりに帰る家を無くした子供たちはトー横で酒を飲み始めた。私はいくつかのコンプレックスを閉まって、少しだけさようならアーティストに近いた。それでも「あの頃」と「あの子」との和解ができていなかった。言いたいこと、覚えておきたいこと、その時の気持ち、上手に何かをいうことよりも大事にしたい事のためには、仕事を辞めて、食事を食べないで貯めた少しばかりの貯金を手にして、映画を作り始める必要があった。


パーティーはいろんな要素を含んでいる。集団に色はあっても人はそれぞれに文脈がある。同じ窓際の人間は誰一人いない。それぞれが抱える憂鬱はたいてい他人には伝わらない。伝える必要はないのかもしれないし、伝える必要があるのかもしれないけれど、必要な勇気は人によって当たり前のように違う。それに気がつけない時には、ステートメントに書いたように「あの子」との違いに傷ついてしまう事もある。

そんな「あの子」でもある「あの子になりたいあの子」が泣いてしまわないようなパーティーがあったらいいなと思っていた。だからそんなパーティーにしようと願った。


受容のあるパーティーの存在を私が求めていたのかもしれない。


持ち帰ったものを教えてくれた人は何人かいた。私が伝えるべき感謝の言葉を伝えてくれる子もいた。多くの人にとっては数多くある中の一つのパーティーにすぎなかっただろうし、行間を読もうとした人も一握りだっただろうし、それを求めるような欲張りではない。でもそれでもいいと思う。それがありのままで等身大のLAFPだったと思うからだ。人が人の体温に触れた。わたしが、人の体温に触れた。それはあまりにも贅沢すぎる時間だった。


パーティーは終わった。

それは週末から一日早い昼間の出来事で、その日の夜にネオンの喫茶店にはいつものように古いレコードがながれた。


わからないことばかりだけど、空いた空間にはきちんと物があるべきところに収められて、そこにはまるで空白がなかったみたいに物事は日常に戻っていく。それでもそれらがそこにあったという時間を部屋は記憶していて、私はたまにそれのかけらを見つけては少し感傷的になった。感情はきちんと持っている。その事実に少し安心したりする。メモ用紙にありがとう、って書くよ。その気持ちを忘れないように。

 

 

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Leave Away Frow Pain.(リーヴ・アウェイ・フロム・ペイン) Photo by Hanabu

2022年1月、筆者であるさようならアーティストが撮影を兼ねてパーティーを開催。

渋谷道玄坂上に位置する、ユースに人気の穴場的スポットBloody Angleを会場に、ガールズコレクティブ11PMによるケータリング、ManaファウンダーのSoya Ito、多ジャンルの音楽を往来しフロアを魅了し続けるMELEETIMEなど筆頭とするDJ、フリーマーケット、ギャラリーを展開。セレクトショップ、古本屋、若年男性層から人気を得るToushiによるケーキショップOxtimesも出店。

延べ100人が来場。