2026/6/1
誰もが面白い人間なのだとみなが気がついてしまったらどうしよう。口を開いたら面白くない人などいなくて、みなが奇妙で愉快なのだ。と明大前駅で井の頭線を乗り換える人々の波を迎えながら皆の顔をジロジロと見ながら想いに耽る。村1個分くらいの人がゾロゾロと階段を上がり、全員が違う顔や身なりをしている。この人たちがみんな変なのだ。だからみんながおしゃべりを始めたのだ。YouTubeを見たら信じられないくらいたくさんの人が話をしていた。本人たちにとってはかけがえがなく、同時に瑣末なことを垂れ流していく。あまりにも喋りすぎだと思う。なぜそんなにみんな喋るのだろう。
2026/6/2
内向的な小指、まきがたの肩と鎖骨。
天使の羽は重たいから、天使に姿があったらそれはきっと猫背をしているね。
じゃあ私たちの丸まった背中はきっと天使の名残だね。

2026/6/3
日々が流れていくと死にたさがます。こんなことを言うとまた病んでいるのかと思われるだろうからあまり言わないほうがいいだろう。考えなくてもいいことは考えない方がいいのだ、と言われ、だからあなたの作るものには心がないのね、と思った。考えなくてもいいことを考え続ける。明らかにしなくてもいいことも全て知りたい。地面を這いつくばってアリが行列をなすのをいつまでもみたい。どうして空は青いの?どうして好きなの?愛ってなに?優しいってなに?どうしてはなんで?何はなぜ??靴は履きたくないし、髪の毛を切るのは緊張する。私はだれ?あなたは誰?ここはどこ?目がキラキラした大人はやばいらしい。私は目をキラキラさせた大人。やはり腹が立つことがいっぱいある。そして「正しく」したいと思う。美しくないものには腹がたつ。
2026/6/4
愛おしい友人だちは皆毎日、毎日を積み重ねていて偉いと思う。女優を目指す友達、詩人の友達、歌人の友達、美術監督をしている友達、監督の友達、みんな毎日毎日仕事をこなし、できないこともできるようになって、どんどん前に進んでいる。ストーリーズや日記にぶつぶつ喋ったりしないで、できることをできる範囲でできる限りにやっている。一方私は本当に何もやっていない。毎日投稿していたストーリーズも最近はバカらしくなってあまりあげていないし、映画もあまり見ていないし、本も読んでいないし、美術展にも遠くてあまり出向けていない。たまに絵を描くくらいで、描いても仕方がないような絵をかく。出かけるのも遊ぶのも億劫だから人とはほとんどあっていない。平岡さんと親友と恋人くらいにしか会わない生活をしている。自分の将来が不安になる。漠然と、ではなく、明確に、不安だ。身一つでお金にできることが一つもない。私は私で毎日一生懸命生きているけど、頑張っている人よりも頑張っていないから、自業自得だと思う。どうしたらいいのか。どうしたらいいのか。
恋人に「ちさは自分のことを主人公だと思いながら生活しているか」と聞かれて、自分のことを主人公だと思えたことはないから困惑した。会社の人に聞いたらみんな間発入れずに「そう思っている」と言われて、さらに困惑した。親友からも主人公であるために、という話を以前された。(手紙では私のことをあなたは主人公だよ、と励ましてくれた。ありがとう。)今とっている脚本講座でも主人公であるために、という話をよくしている。目のギラついたちょっと恥ずかしいラッパーも、自分のことを主人公のように思いなさい、とインスタで話していた。脚本家は心を鬼にして主人公に試練を与えるのだという。もう一人の親友に話したら、自分も他人も全部パラレルな自分である可能性があるよね、という怖い話をしていた。いろんな映画があるから主人公だからと言ってハッピーエンドが待ち構えているわけではない。監督の友達に話したら、人生のモチベーションの話だと思うよ、と言われ、なんとなく納得した。身に起こる出来事も、映画のためのシナリオだと思えばすぎた時に面白い物語になっているよ、という話だと思う。身に起こる出来事を出来事のたびに楽しみ、挫けそうな時にも前に進むためのおまじないだ。
2026/6/5
他者の自意識に気持ち悪さを覚えるのはなぜだろう。
他者の在り方に口を出したくなってしまうのはなぜだろう。
2026/6/7
他者と関係をすると、自分の猫背で毛の生えた背中を見ることになって辛い。他者と関わることがなければ、自分の醜いところや美しくないところを見ずに済むし、自分からも他人からも醜いと思われたくはない。だから一人でいたのだと思う。恋人が金沢に来てくれている間、私は多分「感じ」が悪かった。「俺が悪いのか?」と聞かれ、誰が悪かったのか考えあぐねる。後から考えてみれば全て私が悪い。発端は大したことではない。繰り返される彼の悪意のない言葉に私の認知が傷ついてしまい、人には人の苦労や悲しみがあるのに、彼の一面ばかりを見て、それを羨んでしまう。彼が持っていることと、私が持っていないことは、彼のせいではないのに、比べても仕方のないことをいつまでも比べてしまう。そして彼の快適さを損なってしまった。明るく、素直で、子供のようで、理にかなった彼に、惨めな気持ちになってほしいと願ってしまった。他人の幸せを願っているようなことを言っておきながら、本当は他人の幸せが許せないのだと思う。私はこうやっていつも他人の足を引っ張っている気がする。最低だから落ち込む。私は彼のことが好きなはずだから、彼の一番の理解者でありたいのに、私のトラウマがいつも私を惨めの沼に引きづりこんで邪魔をする。助けてほしい。私に銃口を突きつけてくる私を殺して私は楽になりたい。私は温かく大きく優しい人間でありたい。何もかもを包み込めるくらい優しい人間になりたいのに。
2026/6/8
彼と長く過ごした後は大抵息が浅くなる。自分の不愉快さを表現して彼をマニピュレートしようとしたり、駄々をこねてみたり、私のその姿は醜悪で目の当てようがない。そのような振る舞いをした後には思考がぐるぐるとして、彼に値しないのではないか、彼に見捨てられるのではないか、と考えては生きる価値がないようにさえ感じる。私は、私で、私の人生や価値は他人に支配されたり他人に左右されたりするものではなく、私は私に対して私の尊厳を守る義務があり権利があるのに、私はそれをやすやすと手放してしまう。お互いが完璧ではない人間であり、私や彼の人生の価値を私や彼が決めるものではないはずなのに、私は彼の持つものに圧倒されて全て正しいかのように思ってしまう。それを理解すれば私の問題が解決するのだ、と高く見積もっている。誰であっても私を救うことはないと心の底から納得しなければいけないと思う。冷たさとしてではなくて、いい意味で諦めたい。なぜなら救われたいと思う限り私は惨めの沼で針の筵に立たされ、相手にもその針の筵に立ってほしいと願ってしまうからだ。それは彼の腕の中で安心して眠りたいという私の中の救われない小さな女の子がする彼への期待の大きさである。お父さんになって、抱きしめて、私はお父さんがほしい。しかし、私の小さな女の子の期待とは無関係に、彼は若く、「持っている者」であり、それが故にたまに想像力に欠けて、デリカシーがない。そして高慢で、常に「正当でありたい」という「弱さ」がある。それは私についても同じで、私も彼も同様に一人の人間として当たり前の未熟さを持っている。それは事実として存在している。だからと言って彼にはたくさんのいいところがあり、私が彼を愛おしいと思うのは、身分やステータスみたいなつまらない話ではなく、彼の物事の見え方や自分自身でのあり方や諦めないところや話し方や豊かな抱きしめ方で、だから私は彼にとって安心できる人間でありたいと願っている。だから努力をしたいし克服したいと思っている。彼の裁くゲームの上で合格点を取り、彼のゲームにおいてのトーナメントにいる権利を手にいれようとすることではなく、私と彼がいることが未来にとっていいことだとお互いに思える存在でありたい。
2026/6/9
私が願ったからこの世界に存在しているのだと思うと見てきた全ての光が愛おしい。あなたもあなたもあなたも、私が出会いたくて出会ったのだ。私が存在したいと願ったから、あなたに出会うことができた。
2026/6/10 せめて言葉ばかりは正直で
行動が大事だ、という。言うばかりではなく何をしたかだけが大事らしい。行動が伴っていないなら言葉は嘘だと言うが、本当は行動が言葉に嘘をついている思う。優しくしたい・なりたい正直な気持ちに、行動だけが嘘をついている。愛したい、愛せる人になりたい、という素直な気持ちに行動だけが嘘をつく。大切にしたい・大切だ、というありのまま気持ちに行動だけが嘘をついている。
2026/6/14
コピーライティングはグラフィックだという記事を読んで、なるほどね確かにね、意味や音だけじゃなくて、見た目のリズムも大事なんだなと知ったのが先週。ここには何にもないから仕事ばかりをしていると将来が見えなくなる。将来なんてどこにもないような気持ちになるから、なるべく残業をしないように帰宅するようにしていて、仕事終わってからは家に帰って携帯の電源を落として家にある本を読む生活をしている。片っ端から開いて1行読んで、別の本を開いて、1ページ読んで、写真集を開いて、まるでガキのように注意散漫に紙を撫でる。ツルツルとしてスロット縦スクロールの刺激からフィジカルに戻るためにはリハビリが必要だ。20連休を取った。仕事から少し距離を置いてみたい。辞める、とかじゃ、なくてね。最近短歌と詩に興味がある。生きててどのタイミングで詩を書こうって思うんだろう。詩ってどうやって書くんだろう。平岡さんが貸してくれた詩集には「舌」を世界との「インターフェース」だと再発見し、「舌」ってすげえんだぜ、ということが書かれていて、「舌」ってすげえ、と思った。だから詩はすごいなと思ったけど、詩というものを自分が書くとしたら、何を書いたらいいんだろう。
足りていたり、足りなかったり
するから、美しくても、
悲しそう
なに してる かな かぶりを振る。
眠るしかないね
メッセージはどうせ届かないし
2026/6/15
小立野のぴゅうとあたし あし漕がなくても 前髪がハハハ
あおというええという目はあわないようにね 隣歩いていたくなってしまう
好きな人ができたんだ お幸せにね
せめて言葉ばかりは私に正直で
2026/5/16
花が咲く「さようならの季節だね」という そんなことがあってたまるか
2026/5/17
短歌の1日1首初めてみたが、「それっぽいもの」が永遠と生まれていくだけで、いくら詠んでも虚しい気持ちになる。何が足りないのか。絵を描いていても映像を作ってもずっとこの気持ちが消えない。小手先でいつも描いたり作ったりしている気がする。何かを言っているように御託を並べるのが上手い。賢い人にはバレているから恥ずかしい。プロジェクトは始めるまで腰が重いが、始まってしまったら早いもので、意外とすんなりと進んでいく。結局他人と自分の境界の問題だといつも思う。エイヤ、はいつどこにいても疲れるし勇気がいる。例えば遠いところに住む恋人に会いに行くこととか。
恋人に会いにフィンランドへ行く。友人たちにはお金持ちだね、と言われた。有給を10日間くらい取ったから、贅沢やね、羨ましいと言われた。恋人に会いにフィンランドに行きます、はおしゃれだと言われ、首を捻りそうになる。なんでだろう、気が狂ったように働いたお金を無駄遣いしないでコツコツ貯金しただけで、有給を1日も取ってなかったから日数が残ってるだけで、お金は別にないし、普通に来月の引き落とし額を考えると胃がキリキリするし、国が変わるだけで生活はどこでも変わらないし、実際は群馬みたいな場所だから全然ロマンチックじゃないし。直前まで行くか行かないかずっと迷っているし、ここでトンでも誰にもバレないし、向こうも本当はそれがいいと思っているんじゃないかと思って、飛行機をキャンセルしてブロックしてしまおうかと気の狂ったアイディアに取り憑かれていたが、そんなことも知らない恋人にはお金がかかるな、とボソボソと言われて、じゃあ行くのやめようか?と言いかけて、しかし口をつぐんだ。彼は正直だから私にきてほしくないの?と聞かれたら、口をまごつかせて、その仕草に他意はなかったとしてもそれに対して、余計に私の気持ちをナーバスにするだろうと想像ができた。早く会いたい、という私のメッセージに俺もだよ、という返事がないだけでナーバスになるのだから、明らかにしてみていいことなど何もない。そんな心配などどこにもなく、あっけらかんと私は私のやりたいことをやって、それがあなたも嬉しいでしょ?という態度をし続けなければいけない。それがチサだとみんなが思っていて、みんなにはない「自由さ」だと皆が思い、そんなチサのことを皆が好ましいと思っている。だから私はそのように話し、そのように行動する。
でも確かに私も羨ましい。2年前には人生のためでもなく出張でもないのに長距離移動をするなんて考えられなかった。有給はおろか休日も存在していなかったから、2年前の自分が見たら羨ましすぎてゲロ吐いてたと思う。インスタ上の知らない人は「顔だけで生きてきた元ジャニーズが人生半ばになって自分の薄っぺらさに気がついて人生どん底、努力してみんなを見返したい」と言っていて、おーがんばれーと思うけど、見返されてたまるかとも思う。こちとら27年間も努力し続けてもいまだに何にもなってないんだから今まで顔で得してきた人間が少し頑張ったくらいで世間を見返したらおかしいからだ。しかしこういう了見の狭い考え方は自分の首や周りのことも行きづらくするだろうからやめたいと思っている。フライトの前に考えるようなことではない。普通に、楽しめるように気楽に行こうと思う。
旅券を片手に人を羨む暇があるなら1ページでも読書と言い聞かせる
願ったから存在しているのだと思えば見てきた全ての光が愛おしい。
短歌難しすぎますゲロゲロゲロ
2026/06/18
港と名のつく場所には光が溜まる1人で眠る国と国の狭間で
港に光が溜まる国と国の狭間で1人で眠る
みなと ひかり くにと くにの はざまでひとりねむる ひえたべんち
2026/6/19 (6/18)
羽田を出たのが朝の7時で、12時間飛行機に乗ったら15時についた。恋人の住む場所までいく列車に乗り込む頃には日本時間の0時過ぎだから19日のはずだが、しかし私はまだ18日にいる。飛行機に乗るたびにいつも、どうして移動しているのに時間が戻るのか、行ったまま戻ってこなければ、人よりも1日が増えたまま生きていけるんじゃないか、と思う。昨日の国と今日の国を一本線のリボンみたいに広げたら昨日と今日になるのは面白すぎる。AからBの間には7時間の時差があるから7時間の移動でつきそうなのに、12時間かかるし、12時間かけて移動したら7時間戻っている、マジーーック🪄
どうして時間は同時に進んでいるのに時計を分ける必要があるんだろう。どこかの0時はどこかの夕方で、どこかでは朝ではダメなのか?
座っているだけなのにお腹は空くし、移動は疲れるし、ヘルシンキ空港について換金してから食品店に入ったら不味そうな惣菜コーナーを見て一昨年のロンドンでも悪夢のような日々が一気に蘇ってきて、やはり忘れていることなんて何もないのだと気が付く。圧縮されて端っこの方に追いやられているだけで、ふと階層に迷い込んだ表紙にポンと飛び出て思い出させてくる。思い出はびっくり箱。人々の玉ねぎ臭さとか、香水の匂いとか、地球はどこまでも繋がっているのに、歩いている人の背丈も肌の色も髪の毛の色も違うのは変。
何せ長いフライトだったのでドラマをしこたまダウンロードして行ったが、コンセントが見つからなかったせいでフライト前の時点でかなりバッテーリーを消耗していて、ipadは仕様のバグのせいで、有線イヤホンを入れたら充電ができないせいで、たくさんダウンロードしていったドラマも4話程度しか見ることができなかった。もっとも空港のかたく冷たいベンチのせいで一睡もできず、飛行機に乗ってから8時間程度は眠っていたし、絵を描いたりもしていたので、実際は映画を観る時間はあまりなかったが。(久しぶりに空港で夜を明かしたこともあり、フランスでの臨界状態での夜がフラッシュバックし、境界と仕切りのことを飛行機の中でも考えていた。長距離移動は考え事が捗るので良い)
2026/6/19
なぜ1日が伸びたのか気になる。
ずっと6/19だ。
自分の気持ちとはいつまで経ってもわからない。目の前のことに対してこだわりがない。今日の食事に、歩いて行く場所に、これがしたい、がある人は羨ましい。人がしたいようにしたら良いと思う。湖沿いを恋人と歩きながら、なぜ私はこんな辺鄙な場所にいて、頭の中で考えている面白いことの1つも言えずに、眠り込みながら考え事をしている方が楽しい。
どうして捨てられたことがないのにずっと捨てられた犬のような気持ちなんだろう。
待ち合わせにはこないだろう、私を待ち侘びている人などいないだろうというアイディアが頭にこびりついて離れない。
湖はどうやって自分が自分だと思うのか。
どこからどこまでが湖だと思うのか。空から見たときにこれは私だと湖はわかるだろうか。私の水はどこからやってきて、なぜこのように底は濁って、水の淵は欠けた石で埋められて、水際の葦たちは何を考えているのか湖はわかるのだろうか。パイクが底を泳ぐ、彼らの目は曇っているから見えない方が都合がいい。
魚にとって水は、人にとって空気のようなもので、あると気がつかないくらい、透明なものなのだろうか。水のように満たされたものの中で生きていたら、肌を触れる水と「私」はどこまでが私になるのかな。それとも水は読むもので、水の中では大小の風に乗るしかないのだろうか。家はどうするのだろう。体を使うなら足を踏み出して土を蹴るしかない私たちは空気と関係が希薄だね。じゃあ、鳥にとって魚にとっての水と空気は同じかな。
縦横の風に陸(おか)探す蝶ひらひら 振り追う手も川撫でる尾ひれ
短歌5日目難しい。
日本語が崩壊してきた。考えがまとまらない。
2026/6/20
認知をなぞれば増える分岐つぶさに広げどんな人間であろうか
2026/6/21
憂さごとに カモメばかりみる 二人羽織 さちあれや聞かば ねぇさちあれや
2026/6/22/
水際に伸びるコーナーが街まで 息切れ旗めく背中眩しい
2026/6/24
圧倒的に構造の違う人間と二人きりでいると、自分が世界に存在しているのかどうかさえわからなくなって、世界すら存在していないかのような感覚になる。確かに世界は存在していて、全く違う人間たちがこの世界で確かに生活していて生きているということ自体が、本当のことかさえもわからなくなって、真っ暗な部屋で一人きりでゲームをしているような孤独に襲われる。そうなってしまうと、色がわからなくなって、息が吸えなくなり、喉が締め付けられて、食べ物が喉に詰まって吐きそうになる。人は人のままで、伸び伸びと生きて欲しく、それを脅かすものが自分であってはいけない。そうやって人が人の認知の中で伸び伸びと過ごす間に、私は私の世界が削られ、何が正しく、何を面白いと思い、何に美しいと言えば良いのか、ますますわからなくなっていく。相手が悪いわけではない。私は私らしくいることを私が放棄することが問題だ。
恋人と過ごす時間、息苦しい日が続いて何が問題なのかを思い返そうとこの日記を読み返していたら、初めから恋人は変わっていなくて、私の在り方が変わっただけだった。彼は初めから彼の言語で話し、私は彼の言語に甘んじて彼の言語に便乗し、彼の言語を吸収しようと選択し、その結果私たちは一緒にいる。彼の言語は究極に直線的で、問題提起があり結論があり、それを証明する式で構成され、「好き」「嫌い」を自分の基準にとって正しい判断を常に下す。自分のスタンスは相手がどうであってもブレることがない。合理的で感情的な星で生まれたのが恋人。それができるようになったら私の脳みその問題を克服できるかと思った。それが彼を魅力的に見せていたが、私の「自由で取り止めのないささやかな気づき」を一つ一つ手にとって愛でることが楽しいおしゃべりは、彼の直線的なコミュニケーションにおいて、フラストレーションになることが見えてくると、世の中に存在しているフラストレーションに対して敏感な私の感受性が負荷を感じるようになり、結果としてギスギスした関係を加速させる。
私は、邦ロックが嫌い。テレビアニメが嫌い。砂糖が嫌い。悪口を言う人が嫌い。体たらくが嫌い。価値観が狭い人が嫌い。自分が正しいと思っている人が嫌い。歪な存在が表情に出てしまっている人が嫌い。黙っていたらいいと思っている人が嫌い。恥をかかない人が嫌い。自分のことを高く見積もっている人が嫌い。人の顔色を窺う人が嫌い。自分の意見がない人が嫌い。世界の面白さに気がつけない人が嫌い。色もかたちも面白みのない建物が嫌い。生産効率重視で作られデザイン性をコストカットされた愛のないプロダクトも、実のつまっていない作品も嫌い。海辺のカフェのカウンターが安っぽい木材とペンキで塗られていたら唾を吐きかけたくなるし、夕日が対岸の工場群にあたり美しい海が見える夕暮れ時に、室内のライトをビカビカにつけたまま営業していたらその配慮のなさに不機嫌が顔に出てしまう。メニューにダサいフォントが使われていたら吐き気がしそうだし、街の美容室や古物商のプレゼンテーションに訳のわからないフリルやビロードが使われていたら我慢ができないし、ビビッドピンクやドラゴンフルーツの紫は世界で一番品のない色だと思うし、それにエメラルドグリーンを合わせられたら、それを作り出した人間を引っ張り出して首根っこを掴み、一日中色彩の本に向き合わせてこの色はなんだ、この色はどんな色だ、と色の特訓をさせて世界の色彩の美しさを「理解(わから)」せたいと思ってしまう。
そんな風に嫌いなことがいっぱいある。嫌いなこと、したくないことがいっぱいあるのに、私は人といる時、その「好き」「嫌い」がなくなって、全てがモヤに包まれてしまう。どちらでもいい。してもしなくてもいい。好きにしたらいいと思う。私は空気になって、皆が気持ちの良いことをしたらいいと思う。幸せなことが一番だし。どうせ世の中はダサいもので溢れているし、ダサいものが一つ二つ増えようが、変わらないと思ってしまう。私は私でやるわ、よそでね、と思って曖昧にする。それが自分の問題だと思う。「よそ」なんてところは存在していない。この世界でどれだけ自分の正しさを押し付けることができるか、というだけなきがする。尊敬している上司や、尊敬しているディレクターを見ているとそう思う。恋人もそう。自分の正しさを諦めず、世の中を自分の正しさで満たしたいと思い、その方法を探ることをやめない。だから恋人は、メッシの美しさを讃え、ロナウドの醜悪さに罵詈雑言を浴びせかける。それが正しいか、正しくないか、ではない。そして判断しない私の姿を見て、恋人は「諦めて高慢でいる」と思っている。
そんな風に嫌いなこと、したくないこと、がいっぱいあるが、「したくない」自分の気持ちを信じない自分も同時に好きでいる。コンフォートゾーンから出て、自分の知らない未知の面白さを知る理解可能性への扉が、合わない他人と、その人の熱中していることに耳を傾ける行為でいる。メッシの美しさやロナウドの醜さが、彼がそう思うポイントは理解できて何を美しいといい何を醜いというのかわかっても、それの同調しようと思わないし、依然どうでも良いことだが、彼は信じられない速さで試合の状況を理解し同時に言語化し、それに一喜一憂し、彼らの欠点を述べることができる。それをすごい能力だと思う。私はサッカーを見ていてもボールを目で追いかけ、ゴールが入ったか入らなかったかで、かろうじて面白いか面白くないか、という判断をするしかないというのに。彼がサッカーについてゲームを見ながら話してくれている間、私は彼の話を理解するために全てのメモリを注ぎ込んでそれを理解しようとする。理解するためにはエネルギーが必要だから、どこかしらでコストをカットする必要がある。そのために私のボディランゲージは削られる。表情がなくなり、体は硬直し、こうしているとき、私は他者からみて、世界に興味がない人間の態度をしている。しかし私の脳みそは全て彼とサッカーに預けられ、全身全霊で彼と彼の好きなものを理解しようと試みて、そして理解する。サッカーの面白さを、メッシの美しさを、ロナウドの醜さを、ウズベキスタンのチームの脆弱さを、ポルトガルのチームの戦略の精巧さを、サッカーを取り巻く全ての世界の複雑さと経済規模の大きさと、熱狂、とは何か、ということを、90分の試合の中で理解する。そういうとき、ありがとう、と思う。私をここに連れて行ってくれてありがとう。知らないことを教えてくれてありがとう。そう伝えているとき私の表情は強張り、体は硬直し、他人から見て世界かに興味がなく、面白さを理解していない人間の態度をしている。あぁ、あなたに伝われば良いのにこの気持ちが。
そしてその膨大な情報量を言葉にすることができないわたしは、態度で表す必要があり、それは彼の好きなアニメにも興味を持ってみようとする態度で、それをサッカーと同じようにその面白さについていかなければ嘘になる気がして、暴れる牛の手綱にしがみついてそれを理解しようとする。その間も私の表情は凍りつき、体は無表情で、全てのメモリとリソースをそこに注ぎ込んでいるというのに、彼は私が彼の世界に興味がないという絶望感や、彼が存在を脅かされる不安に飲み込まれている。あなたに対して、私があなたが思っているよりも、全力であることを、彼はそのことを知らない。
2026/6/25
うたた寝をしながら、宮廷のピアニストのことを考える。大きなクリスタルのボタニカルハウスで、お嬢様と左大臣婦人がセラミックの端の薄いティーカップを傾けて色とりどりのクッキーアソートを指でつまんで召し上がる。宮廷ピアニストは彼らが優雅な午後のティータイムを終えるまでワルツやソナタを弾き続けなければいけない。うんざりしている。午後の柔らかな光が注ぐ宮廷の植物園で、ピアニストはうんざりとしている。単調で消費され尽くした曲を弾くことに飽き飽きして、宮廷ではない荒涼とした草原や崖淵や洞窟の中でただ心ゆくままにピアノを弾きたいと願っている。
2026/6/26 一絵へ
あなたに会いたくて、あなたと話したくて仕方がありません。悲しい時、一番に話を聞いてほしいのは一絵です。昔から、そうだったな。恋人と別れそうなとき、パニックで息ができない時、いつも一番最初に電話しなきゃと思うのはあなたです。昨日も本当は話したかったけど、あなたはきっと出ないだろうと思ったからかけませんでした。あなたと話すことができない理由を、多分今ならわかる気がします。
年末に付き合った人とは別れました。ついさっき。彼に会いにフィンランドに行って1週間過ごして、あまりにも合わないから辛くて、本当はこのあとヘルシンキで1週間一緒にいるつもりだったけど、ヘルシンキには一人で行くことにしました。
私は自分のことを素敵だと思うし、最高な女の子だと思うけど、完璧ではないことも知っている。だから、その完璧ではない部分が、相手にとって完璧であってほしい場所だと、悲しい。のびのびとして訳のわからないことをケラケラという愉快な私は豊かな泉みたいに誰にでもお裾分けできるくらい溢れ出ているのに、その水は相手が嫌いな水なのでは、私も彼も辛い。だから、お互いのことが好きだけど、合わないから、一緒にいない方がいいね、と話しあって別れた。
「抽象的なことを話して他人に伝わると思うのが傲慢だ」「俺と話したいなら俺にわかる言葉にまとめてから話せ」と言われ、これなら伝わるかこれなら伝わるかと話すが、その度に「努力が足りない、伝えることを諦めている」と言われては、今まで話していた自分の言語までもが崩壊して、私の世界を形作っていたものが解体してしまう。そうやって1週間誰もいない言葉のない宇宙に放りだされて、息をするのを忘れて泣きながら過ごしていた。抜け殻になった私の体は全身擦り傷の上に塩を塗られ、何千本もの針で体中を刺されているように節々が痛み、空気が触れるたびに心臓が傷んだ。体がずっとバラバラになってしまいそうだった。
白夜の光がブラインドから差し込むリビングで、仕事の前にベッドでくつろぐ彼の腕を握り、お家に帰りたいの、と震えながらいう。「おうちに帰りたいの」体中が痛いの。「俺といるのが嫌?」「あなたといることを頑張りすぎて、疲れてしまったから今は一緒にいるのが辛い。」「それで俺にどうしてほしいわけ?」「今日家を出て一人でヘルシンキに行く。だから電車を取るのを手伝ってほしい。」「わかった。」
私は自分のことを素敵だと思うし、最高な女の子だと思うけど、完璧ではないことも知っている。だから、その完璧ではない部分が、相手にとって完璧であってほしい場所だと、悲しい。のびのびとして訳のわからないことをケラケラという愉快な私は豊かな泉みたいに誰にでもお裾分けできるくらい溢れ出ているのに、その水は相手が嫌いな水なのでは、私も彼も辛い。だから、お互いのことが好きだけど、合わないから、一緒にいない方がいいね、と話しあって別れた。
人が私のことを好きだと信じたことが一度もないから、彼が私と別れて泣いたのを見てびっくりした。
「本当に好きだったよ、幸せな時間をくれてありがとう」と言われて私の拙さにやはり悔しくて涙がでる。もし私がお姉さんだったら、お姉さんだったら、あなたと一緒にいることができたのに。(できたかもしれないし、できなかったかもしれない)彼が泣きながら「酷いこといっぱい言ってごめん、楽しませてあげられなくて本当にごめん」というから、好きになってくれたこと、あなたがずっと努力してくれたことのおかげであなたを好きでいた時間を無駄だったとは思わない。と伝える。「私たちは頑張ったと思わない?」彼が肩を震わせて私の襟を濡らしながら頷く。私たちは頑張った。彼が私のために努力してくれていたことも、ずっと考え続けてくれたことも知っているし、私は私が頑張ったことを知っている。自分がなくなるくらい彼と一緒にいることを努力しようとした。
彼にはたくさんのことを学んだ。
「楽しい」は「その時間を楽しいと感じていること」
「楽しくない」は「それをしてる時間が1番楽しい、じゃないこと」
「やりたくない」は「やりたいじゃなかったらやりたくないこと」
「考える」は「一つの物事を想定できうる限りの可能性を考えること」
「"考え"ないで話す」は「感情に任せてその場あたりで誤魔化そうとすること」
「嘘」は「矛盾して辻褄が合わなかったら嘘」
「信じられる」は「一貫性があって、明日も明後日も同じ判断をするだろうという安心」
「愛」は「好きになった人の気持ちを"考え"て努力すること」
これ、知ってた?私は
「全部が全部楽しくなくても楽しめる瞬間がある」なら「楽しい」
「どう頑張っても面白くならないこと」が「楽しくない」
「他人の快適を奪うことになっても受け入れたくない」が「やりたくない」
「置き換えたり連想したり周辺のことまで考える」が「考える」
「形のないものをどんな言葉なら表せるかを探しながら話すこと」が「考えて話す」
「相手を傷つけることがなく、喜ばせるため」なら「嘘じゃない」
「明日、明後日違う考え方をしていてもあなたとの未来を愛する」が「信じる」
「自分の認知と相手の認知をすり合わせてお互いが傷つかないように努力して一緒にいる」が「愛」
だと思ってたんだよ。
一緒に買ったぬいぐるみや、キーホルダーを見ると一緒に過ごした時間を思い出す。そのどれもちゃんと好きで、幸せで、あなたのことを考えていた。だからやはり涙が出る。
私が彼のことを好きだったは「本当」で、合わないから辛いことも「本当」
好きという気持ちがあっても一緒にいることはできないことを知る。
2026/6/27
ヘルシンキのいろいろな芝生で、恋人といるための別の方法があったのかを何度も考える。
私がもう少し優しく、恋人のあり方を取り沙汰しないで、ニコニコと見ていられるくらい大人だったら?
艶やかに微笑んで、砂場で遊ぶ子供やスーパーで駄々をこねる子供のように、恋人が恋人らしく過ごすのを愛おしく見ることができたら?私にコンプレックスがなく、ありのままであなたと過ごし、私は私の快適を守り、あなたの快適の侵入に対して「戦おう」としなければ一緒にいることができた?そしてやはりいつも同じ結論になる。あまりにも形の違う人間だから、お互いがお互いの形に馴染むまで時間と体力がかかり、その道のりが遠いこと。
頑張らなくてもできることと、頑張ってもできないこと/できるけど疲れること/誰に言われなくてもやりたいことと、どうしてもやりたくないこと/があった時に、お互いがいるために、どうしてもやりたくないこと、とできるけど疲れること、ばかりだと一緒にいると辛い。構造が違うというのは、この領域の多さ少なさだと思う。
人間と人間が一緒にいることは、認知の宗教戦争だと思う。私にとって私の認知が成立していて、あなたにとってもあなたの認知が成立しているなら、それは何が正しい・間違っている、ではなく何を信じるか・信じないかという宗教の問題である。文化も価値観も教育レベルも違う他人と他人が一緒にいる時、認識や文化の違いで摩擦が起きる。二人の関係性において、どれだけ自分の認知という領土を開け渡さずにいられるか、という既得権益の維持の問題、或いは愛する人間と時間を過ごすためにどれだけ譲歩できるか、という境界線の問題である。それを解決するためには、話し合いをするか、戦争をするという方法がある。お互いが柔軟で欲がなく物腰が柔らかであれば話し合いは成立するが、そうでない場合は話し合いというフォーマットをとっていたとしてもそれは戦争になる。戦争とは戦略があり戦法があり、強い・弱いがある。フィールドや戦略を間違えば領地を根こそぎ奪われ、存在の危機が起こる。私は戦争が不得意な上にフィールドを間違い、そして彼に悪気がなかったことや傷つける意図がなかった事実とは裏腹に、結果として根こそぎ奪われてしまった。だから、土地を、思想を、言葉を奪われ、アイデンティティの喪失に苦しむことになった。ジブラルタやユダヤ人やパレスチナの人々の痛みや苦しみときっと似ている。
そして私の間違えは、
・意図的に自分を大きく見せたこと
・醜く不完全な自分を隠していたこと
・論理や効率というフィールドに力を持たせすぎたこと
だと結論づけている。
友人と電話をしながら、友人から「あなたには論理的思考も論理的な話術も必要ない。」と諭される。「ちさちゃんがちさちゃんのままで突き抜けることが、同じフィールドで戦わない、ということだよ」と言われ、自分もそう思うから、安心する。友人はいつも宇宙で迷っている私に手を差し伸べて、あなたはここにいていい、と伝えてくれる。友人たちが好きで好きでたまらない。
ひとしきりの考え事を終え、自分は2度と別のものに憧れて別のものになろうとしないこと、少なくとも私が私に対して後ろめたくないように、自分にとっての幸せのために選択をする訓練をしていこう、という決意と共に芝生からおもむろに立ち上がり、夕方のヘルシンキのまちを歩く。散歩という行為に集中する。窓の形を取り沙汰し、植物を面白がり、テラスで団欒を楽しむ人々を愛おしみ、ランダムな人間の行き交う様に微笑む。そうしていると、だんだんと「今」が私の近くにやってくる。そうすると安心して、余計散歩に精が出るのだった。
もう20時をすぎているのに、あたりはまるで明るく、テレビの仕事で来た時も夏のことで、夜まで明るかった日々のことを思い出す。窓の多い建物に夕方の光が反射するのを見て、カウリスマキの夕日だ、と思う。
2026/6/28
ハコヤナギ降る街の景、夏の夕 雪みたいね 一面の綿毛
2026/6/29
たらればに猫背の背中がみえては
パンがつかえるの むねのいたみ
2026/6/30
好きなこと 無駄なことして 笑うこと
試しにバナナ 踏んでみるとか
頬かかる陽に振り返る誰(たれ)そ彼
遠ざかるのはトラムの鈴音
2026/7/2
19:30 関空に降ろされ、荷物を受け取り税関を通る頃には金沢へ帰るための電車はもう間に合わず、大阪で一泊することになった。さようならのようなメッセージを恋人(元恋人)と送り合い、友達でいようと言葉を交わしたけれど、友達になることはないのだと思う。彼のような友人は私の周りにはいない。ダイジェストできたと思ってもクネクネと考え続けてしまう。書くべきこともないのに、言語化し続けなければいけないような気がして意味もなくキーボードを打ち続ける。ゴミのような思考を投げ続ける。12時間のフライトで、窓側の席に変更する場合には1マン以上チャージしなければならず、真ん中の席で思うようにも眠れず動けず、そうすると脳みその中枢部、鼻の奥とのどの間の奥が痛みのようなものを訴えていることに気づく。渇望、だと思う。なるほど「渇望」は「退屈」だと気が付く。「退屈」が私を破滅に連れて行こうとする。
「頑張り」たいと思っている。自分は頑張ったことがないと思う。ずっと怠惰に生きてきた。やりたくないことを我慢して千切れそうになりながら何かを乗り越えたり、何かを手に入れたことがない。毎日毎日早起きを頑張ったこともないし、勉強を頑張ったこともないし、自分に栄養を送るために食事をしっかり摂ることに気をつけもしないし、運動を頑張ったこともない。たまに仕事を頑張る時があって、でも継続的なことではない。人々は受験を頑張ったり部活を頑張ったりして、大学で「仕事」ができるようになって、社会人をして「仕事」をしているし、専門を卒業した人たちは何かしらの技術をつけて、何かができるようになっている。私はずっと働いてきているが、できるようになったことがない。何もできるようになっていないし、ずっと何もできない。何かができるようになりたいと思っている。何かができるようになりたい、と思うと今しがみついているところをすっきりやめてゼロから頑張ったらいいんじゃないか、とかそういうことばかり考えて、介護士になろうかとかお金貯めて専門学校にいって技術を学ぼうかとか、やっぱり大学に行こうか、とか考える。そのたびに、仕事を辞めることが頭を掠める。生活のためだけの仕事と割り切るにはメモリを割きすぎるし、メモリを割きすぎる割に学べることが少なく、疲れる割に給料が低いからだ。しかし今の私が9-5時で仕事をして得られる金額では一番高いかもしれない。よくわかんなくなってきた。頑張りたいと思っている。頑張りたいと思っているのに、何をどう頑張ったらいいかわからない。
彼氏を見ていると、「考え事」をしないように見える。私のように上の空になって別のことを考えたりしない。彼氏と森の中を歩きながら、体が足の裏全体になったみたいで、足全体で歩いてるみたい、といったら、普段からそうじゃないの?と言われたし、他のオーガナイズされた人たちを見ていても、歩いている時は歩いているし、生きている時に生きている以外のことを考えてはいないように感じた。朝起きて、準備をしてご飯を食べて洗濯をして、自分の手足がどこにあるのかをわかっているように感じる。大阪で友人の家に泊まって、そうだと思ってから、考え事をするのをやめて、手を揉み・擦りながら、次にすることだけを考えながら家を出たら全てがスムーズだった。昔のことや将来のことを考えようとするたびに手を揉み・擦り、現在に戻ってくる努力をする。次の乗り換えのことだけを考える。
今頑張らなくてはいけないこと
・家に帰ること
・家に帰ったら荷解きをして洗濯をすること
・MVの撮影のために何をとるか、進めるべきことを進めること
・夜ご飯を食べること
月曜日から頑張ること
・仕事を9-5で終わらせること。
・締め切りに合わせること
中長期的に頑張ること
・体力をつけること
・仕事中は仕事を終わらせること
・仕事が終わったら仕事のことは考えないこと
・食事をきちんと摂ること
・水を飲むこと
・英語を伸ばすこと
2026/7/3
できるかどうかわからない。何度そうしようと決めたか覚えていないが、やはり何度もそうしようと決める。できるかとかじゃなくて、頑張らないといけないから、やる。やると決める。
しかし期限がないといけない気がする。目標が必要。
明日からすること
・7:30に起きる。
・水を飲む
・朝ごはんを食べる
・5分走る
・本を読むor新聞スクラップする
・9時に出社する
・水を飲む
・仕事中は仕事のことだけを考える
・5時に帰る
・native canmp始める
・0時に寝る
実現したいこと
・やはり大学に行きたい
・脚本をかく
・映画を撮る