影をひろいあつめて

毎日一言日記

Title"somewheremagazine" essay for naz. magazine

(Magazineのサーバーのリンク切れのため転載)

デカい人間になりたいという気持ちは今でもある。もはや恒星間天体になりたい。いきなり突飛な場所から飛び出して、一瞬のように通り過ぎていく。走って行った軌道に学者が首を傾げて熱心に議論を繰り広げる。ハワイの青い海に囲まれた岩場の天体観測レーダーでたった数人が目撃した事実に学者たちが胸を高ならせる。世界中の天体ナードがヒソヒソ声で宇宙人に夢をはせた。私はオウムアムアにずっと嫉妬している。


 久しぶりの休みの日には夕方まで眠ってしまって、せっかくの休みを有意義に過ごせなかった事が許せなかったので、急いでシャワーを浴びて冷たい雨が降る外を走って電車に飛び乗ってしまった。雨の日の電車は湖を渡っていく鉄道のようで、窓の外を覗けば気高い青龍が見えるような気がする。龍は気泡を出しながら紅い淡水魚の群れと窓の外を進行方向に泳いでいく。龍が体をくねらせて泳ぐ度に口のひげが揺れて、鱗は電車の窓から漏れる光を受けてヒラヒラと光る。私は座れなかった電車の中で、窓からそれをじっと見て、窓際の空気を吸う。胸がひんやりとした。水はどこまでも循環して途切れず繋がっているのだと思った。


 電車という手段を使ってする移動は時間の流れを少しだけ遅らせる。人間が人間の体で出し得るよりも速い速度で長距離を移動することが出来るなんて、電車を考えた人はきっと走るのが遅い人だったに違いない。そこそこに混んだ上りの電車に揺られてスクランブル交差点の前に降り立ち、どっと押し寄せる人の間を抜けてイルミネイトされた道玄坂を上がっていく。開いた上着から入り込む空気はだいぶ冷たくなった。


 理想からは遥か遠くに置いてけぼりの、小さくて醜い私はそれでも大きく見せていたくて肩で風を切って歩く。ダーツバーの階下にある構えの良いカフェバーに常連かのように入る。長く広いバーカウンターに座ると、コーヒーの飲めない私はイングリッシュティーのホットを頼んだ。これからたった一杯の紅茶で何時間も居座ろうとしている私に、店員は私がまるで一流大学の教授かのように、淹れ立ての紅茶をそっと置いてくれる。店員が身に纏った白いスタンドカラーのユニフォームは彼女の背筋を真っ直ぐに見せている。赤みの照明が陶磁器の丸いポットを乳白色に染め上げた。ひとつ口に含む。上品で奥行きのある味がそこにはある。きっといい紅茶なのだろう。

 店内には様々な服を着た様々な関係性の人たちが何名かであるいは1人でいる。着ている服装も、話している或いは作業の内容もみなバラバラで、そこにいる人々全てにとって見えている景色は違うのだろう。


 もう人々はウィルスの存在をおとぎ話の様に聞いている。感染者があの時の何倍に増えていてもスクランブル交差点は一年前のクリスマスと人通りはさほど変わらない。あの頃に街中を襲った恐怖は通り過ぎたのだろうか。また同じ日々が戻ってきたのだろうか。否、同じ景色を保つことはいつも不可能だ。

 大手IT企業が渋谷ストリームに入ったばかりの頃は、ガラス張りのオフィス一帯に煌々と明かりのついていた西側のエリアも、今は窓から明かりが消えた。景色は誰の目にも歴然と変化した。どうしてだろう、変化した物事に直面するたびに心の痛みは否めない。


 公園通りの小さなオアシスが白いパネルに囲われてしまった時も、マークシティ下のコンビニの前の警備が強化された時も、心臓が炙られてしまったような、焦りにも似た気持ちがついてまわった。見慣れた景色を失うたびに悲しい気持ちは免れない。つるんとして無駄のない除菌された世界になっていくような気がして、例えばそれは必要で、良い方へ転換するための変化だったとしても、身が引き裂かれるような気持ちにさえなる。


 ちょうどポッドから注いだ2杯目の紅茶が冷たくなって、カップの底が見える頃にウェイターがやってきて退店するべき時間が来た事を告げられた。カフェを出ると浮かれた群衆が点描のように往来していく。寒さに首を竦めて私は埋められてしまった恋文横丁の横をスタスタと降りていく。栄えた町には忌々しい過去の歴史が横たわっていようが私には関係がない。どうか私を責めるのはやめて欲しい。


 また電車に乗る。ICカードの少なくなっていく残高に見ないフリをして、社会化された乗客の列に並ぶ。この電車はいつも座れない。


 ビルや道路が車窓の外に流れていく。街に積み重なった水滴が電車から洩れる光を受けて発光する。いいなぁ、キラキラしていて、と思う。ポケットに詰めて部屋に持って帰りたい。「またゴミを集めてくる」と親や兄は呆れるだろうが、光っているものは私にとってどうしても魅力的だ。


 最寄りの駅に着くともう雨は止んでいた。駅で1人でいるこの時間に、たった今この場所で何も理由がないのが自分だけのような気持ちになって改札の前に立つすくんでしまった。そうやってしばらく透明になっていたら、知らんジジイに通りすがりにぶつかられて舌打ちをされた。悲しみに対して優しくしたいのに、自分が悲しいと思う気持ちを嫌いという言葉に置き換えてしまいそうになる。嫌いだ、嫌いだ、嫌いだこんな場所。


 ジジイを追いかけ回して謝らせたり、叫んだり噛み付いたりしようとする元気もなくて、とりあえずマスクの下で変な顔をしてからイヤホンで耳をふさぐ。ブリトニーの音楽なんかかけて、人通りの少なくなった道を上を向きながら歩いた。東京の空に星が出ているのをあまり見たことがない。星をみるには町はあまりにも明るすぎるらしい。

2020/Dec