影をひろいあつめて

毎日一言日記

交換日記vol.1 「家で暮らす」

絵: Taiyo Nobata 文:さようならアーティスト

f:id:midnightdancingcrew:20231021090331j:image

20/10/2023 

市内にいることに疲れ、減っていく預金額を見ながら帰国が近いことを考えていた。せっかく遠くまで来たのだから、と気温の下がってきた頃に北英に足を伸ばした。キングクロス駅から国鉄に乗ってエジンバラグラスゴーと順に足をつけ、市内でそれぞれ1泊から2泊する。初めの数日は空も機嫌が良く、気持ちのいい秋日和だったが、エジンバラを離れる3日目から雨が降り続き、横殴りの風に見舞われていた。低気圧のせいか朝から元気がなく、雨を含んで重くなったコートと、歩くたびに指の間を水が音を立てて吹き出す不愉快な靴のせいで、グラスゴーに着く頃にはしっかりと気持ちが落ち込んでしまった。「チェックインお願いします」レセプションで声をかけると聞き取りの難解な英語で返される。「すみません、もう一度いいですか?」耳を傾けて良く聞くとそれが顔つきのIDを示していることがわかる。まるで違う言葉みたいに聞こえる。同じ国なのに、と不思議に思う。旅行アプリで予約したホステルは一泊たったの20£で、暖房はなく風がたまに吹き込むが、恐らく今まで泊まったホステルの中で最も「家」らしかった。ロンドン市内のホステルはほとんどが男女共用で、シャワールームは黒カビが生えているか、そうでなければシャワーの水圧が低いかのどちらかで、大抵は床が常に濡れている。客室は他人の汗の匂いや生乾きの服の匂いで充満し、ベットにめいめいのコンセントがないところも多かった。石造りの古い建物はエレベーターがなく、私はホステルを変えるたびに大きなスーツケースを抱えて、気の遠くなる数の階段を上らなければならなかった。20人部屋のドミトリーでは様々な時間に眠る人がいて、基本的に部屋で落ち着けることはない。ロッカーは占有されており、貴重品やラップトップやタブレットを全て入れたナップサックを常に小脇に抱えて、ラウンジやチルアウトルームで過ごすことが多かった。グラスゴーのホステルでは、4人部屋の女性ドミトリーを予約できたが、やはり部屋で自分勝手に電気をつけたり音を立てたりすることはできないから、濡れた服を着替えカフェテリアに移動する。ざっと入口から150平米はある殺風景な部屋を見渡し、集団から離れたソファ席を見つけて陣取る。酔っ払いのメタボリックな年老いた男女がチップスをつまみながら、テレビでハロウィン特集をみている。汚い床に寝転がって携帯をみている男がいて、その近くの席では2人の女が大きな声で世の中がどんなにクソかと言うことを話していた。「羊のような人たちに私たちのことは理解できないわけよ」「全くもって」それを横に聞きながら私はソファに沈み込む。乾いた暖かい服を着て、ソファ席に座れたら充分なのだった。

 街の破片をいつも探している。好きな路地、好きなカフェ、好きな窓、好きなベンチ、好きな光。「ここではないどこか」がいつも気になる。好きな破片を集めて私は自分の街を作っている。私はどこにも呼ばれていない気がする。

 ただ遠く離れてみたくて色々な理由にかこつけて全てを辞め、そうやって「エイヤ」をして、飛行機に乗ったり電車に乗ったり人に出会ったりする。自分のことを話した人にも話さなかった人にも出会う人には「勇気があるね」と言われる。勇気があるね。口に出してみる。「Brave」勇気があったって人と仲良くなれないなら意味がないのに。


 文章を書くことはスケッチに似ている。映像や音楽と違って「見えない」し「聞こえない」から、「見える」ようにも「見えない」ようにも書くことができる。「聞こえる」ようにも「聞こえない」ようにも書くことができる。文章を書くことは私自身と紙とペンさえあれば場所も時間も関係なく、私はたった1人でそれを試みることができる。おしゃべりが得意ではなくても、他人を「お家に入れる」ことができなくても、何ら問題はなかった。

 時々、目を閉じてスケッチをする。街や建物や人の行き来を、耳と肌と鼻だけで「見て」みる。聞こえて来る人の声や空気の振動や風を頼りにその人がどのように振る舞うか、どの様に歩くのか、街はどんな匂いをしているか、どんな言葉を使って話すのか、目が見えなくたって「見える」ことはたくさんあるのだと言うことを思い出す。

「ねぇ、あなた、大丈夫?」目を閉じていたら微睡んでいたらしい。後ろで大きな声で話していた女性が私の肩を叩いていた。「大丈夫、すごく大丈夫だよ、あなたは大丈夫?」突然の他人に驚きながら聞き返す。「大丈夫、あんたなんでそんなに悲しそうな顔してるの?なんでだろう、あんなのことを見てると悲しい気持ちになる」心配しているのだろうか、なぜそんなことを聞くのだろう、と不思議に思う。「悲しそうだね、」と言われる。いく先々で出会う人は私にそう言う。そう言う慣用句でもあるのかと思ってしまう。

「本当に大丈夫、悲しいことなんて何もない。もう夜遅いからいい夢を見てね」

 グラスゴーで迎えた朝はやはり寒くて、おまけに窓の外は風と雨が吹き荒れていた。BBCではグラスゴーでの嵐がストリームされていたらしい。イギリス人が教えてくれた。9階の部屋からはグラスゴーの街が遠くまで見えて、路地裏はゴミや吐瀉物が吹き溜まり、より一層汚くて色のないつまらない街に見えてしまった。

 1日の街歩きを早いうちに諦め、ホステルのロビーで締め切りの過ぎた原稿を書き、夜になるとマンチェスターに移動するためグラスゴーセンターからロンドンまで走る夜行バスに乗り込んだ。チケットの買い方がわからず駅員に尋ねたら、券売機はなく、ネットでしか買えないとのことだった。乗ろうとしていたバスはもう受付を締め切っており、次のバスは夜中の3時前に駅に着く。初めての夜行バスだ。

 乗客たちは中東や南アジアの人々が多く、バスが出発してまもなくの頃はみなそれぞれの言語で何やら話し、賑やかだったが、モーターウェイに乗ってからは徐々に口数も減り、寝静まり返った車内にバスが風を切る音だけが聞こえた。街が離れていく。遠くに見える街の明かりを見ながら、こんなところには2度と来たくない、と思う。何も見てはいないのに、何も知りはしないのに、私は2度と来たくない、と思う。