影をひろいあつめて

毎日一言日記

会話1 -経験と助言について-

友人や人とした面白かった会話をベースに起こしたフィクションです。8割5分本当です。

 

登場人物

さようならアーティスト:筆者。

マット:家族経営のギャラリーで店番をする48歳。守備範囲→音楽、絵画、映画。

 

気温が0度まで下がることも多くなったロンドン、先週は初雪が降った。

友人のマットと、サウスウェストに位置するリッチモンド公園をドライブしながら。

 

-バタン(車の扉を閉める音)

-車が発車する

さア:昨日駆け込みでロイヤルアカデミーオブアーツに行ってきたんだけど、マリアなんとかって有名なパフォーマンスアーティストのエキシビションで、そのうちの一つにパフォーマーが12日間美術館に設置された部屋で暮らす、っていうのがあった。

 

マ:ロイヤルアカデミーは久しく行っていないけど、いい展示をいつもキュレートするよね。

 

さア:その部屋は展示スペースの1区画に舞台のようなプレゼンテーションで孤立した状態にあって、12日分のバスタオル、水、下着が用意されている。シャワー、トイレ、流し、ベッド、机、椅子、メトロノームとかバケツとかも置いてある。高さをつけた部屋に設置されたハシゴの足場は全て包丁で作られていて、そのミニマルな機能だけを残した舞台からパフォーマンス期間の12日間は降りられないことを示してるのね。

 

マ:実際にその場所で行われているんだ。

 

さア:うん。その中で、パフォーマーにはしていいこととしてはいけないことがルールで決められてる。しちゃいけないことは、発話、読書、覚書、食事。していいことは、歌を歌う、水を飲む、シャワーを浴びる、排泄。してはいけないこと以外は何をしてもいい。

マ:面白いね、そういうパフォーマンスを以前見たことがあるよ、毎日断食し続ける、とか丸太の上に座り続けるとか、すこし狂気じみたパフォーマンスだよね。それでどう思ったのかな?

 

さア:興味深かった。というのも、そのパフォーマンスを見初めた初めのころパフォーマーはブリキのバケツをただ部屋の端から端まで執念というくらい時間をかけて移動していて、これはダンスパフォーマンスの一部なのかと思って最初私は結構白けた気持ちで見てた。だけどルールを理解して、その精神状態を想像した時に、いかにエンターテイメントや人間の営み、刺激を制限された状態で12日間、1008時間の時間を過ごすか試された時、「あるもの」でインタラクティブ性を生み出そうとしているんじゃないか、と言う仮定が生まれた。そう考えたらその展示を鑑賞する時間が途端に自分にとってとても面白いものになったんだ。テレビよりも面白い。リアルタイムのドキュメンタリーだし、極限状態になった人間がどのように過ごすのか、という目撃し得ない実験が目の前の事象として観察できるわけだからね。同時に観察者と被観察者がある意味共犯関係であるような、お互いが介入し合っているという関係性も興味深かった。そういう人間のことを目の前で見ることは希少な体験であるし、だからこそ同時に私もその実験を自分でやってみたくなった。

 

マ: なるほどー。ファスティングはメディテイションとしてもよく用いられているよね。食事を制限し始めた始めの3日は狂いそうなくらい食事を求めるけどそれをすぎたら食事を必要としていないことに気がつく、とか、空腹状態によって今までに気が付かなかった感覚が研ぎ澄まされたりだとか、そういう話を聞いたことがあるよ。ある種のトリップ体験と類似するものがあるかもしれないね。

 

さア:まさしくそうだよね。よくそう言う経験談は聞くよね。もちろんそういう体験も興味深いんだけれど、でも私が言いたかったのは、それよりも、自分の興味対象は最近気がついたことに基づいていて、それは「体験したことしかわからない」ということなんだよね。学習したパターンやファクトを精査していけば、ある程度想像で感覚を補うことができたり、わかった、に近いところまで近づくことはできるんだけれど。身体的に痛みを感じることをある程度経験する、例えば躓いて転んで擦り傷を剥いた、腕を折った、突き指をした、と言う痛みの感覚を経験を積み重ねてある程度想像ができるようになる。あの高さから落ちたら痛いだろうな、みたいな。でもたとえ想像ができたとしても、実際に10メートルの高さから落ちて見ないことにはその痛みを経験することはできないことと同じように、実際に経験したこと以外は実際にはわからないよね。伝わってるかな。

 

マ:わかるよ。でも同時にこういう表現もあるよね。「満腹の時に空腹の時の気持ちを思い出すことができない」目の前に充分の食事がある、それをひたすら食べた、君の胃の中に食事が満たされている。もう2度と食事なんか食べられないよ、と言うくらい食べたと想像してみて、その時に空腹だった時の感覚を思い出すことができるかい?できないんじゃないかな、お腹が空いていた時の飢えた感覚や、食事を欲する自分の欲望をもう思い出すことができない。だから実際には感情的な記憶として覚えていることはできても、身体的な記憶として記録することはできないんだ。それは幸運なことでもある。今現在体験していること以外は全て経験に基づく想像でしかないんじゃないか、みたいな。

 

さア:それは確かにそうかも。んーー、けどそう言う意味で言うなら、経験したこと以上の想像はできない、と言うのが正しい気がする。そういう意味で、12日間必要最低限の生活環境の中でファスティングする、という事柄は、観測してわかることと経験してわかることは凄まじい違いだと想像した。その経験は最もレアだし、世の中のほとんどの人はそれを経験することができないとすると、それはとてもレアで価値の高い経験なのではないかと思った。そうやって自分だけの経験を積み上げていくことが大事な気がしてて。

 

(しばらくの沈黙)

 

マ:この表現わかるかな、前にも話した気がするんだけど、「本当のウィズダムっというのは、誰かに良いアドバイスすることよりも、アドバイスからプロフィットすること。」プロフィットってわかるかな。

 

さア:んー、わかんない

 

マ:ベネフィットって言ったらわかるかな。

 

さア:んー。

 

マ:んー、つまり、誰かにアドバイスする方が簡単なんだ。ああした方がいいよ、こうした方がいいよ。bruh bruh, 僕も誰かにアドバイスできる。さっき君にしたみたいにね。「車道を横切るときは左右に注意して渡りなさい。」なぜなら僕は君より賢いからね。笑

でも本当のウィズダムウィズダムはわかる?ワイズ、ウィズダム

 

さア:あー、うん、ウィズダムはわかった。

 

マ:本当のウィズダム(賢者)はみんなからアドバイスを摂取して、それを理解するんだ。ここは理解できた?

 

さア:うん

 

マ:つまり、「私は賢者だ、なんでも知っている、だからアドバイスをあげよう」って人がいるでしょ、それは誰にでもできる。賢くなった気持ちになるにはいい方法だよね。でも本当の賢さっていうのは、人のアドバイスを自分の中に落とし込める人だよね、それからベネフィット、プロフィットできる人なんだ。それが僕が聞いた諺。

 

さア:わかるかも。いつも考えるのは、年寄りは説教したがるし、若者は説教を聞きたがらないじゃん?若者はいつも、ウザがったり年寄りの戯言だっていいがち。

 

マ:ハハハ、わかる

 

さア:でも私いつももったいないな〜って思ってて。確かにどうしようもない大人が何か言おうとしてるの見て、なんか言ってんな〜とか、聞く価値あんのかな、みたいなことわからなくもないし、特定の経験においては私よりも経験値が低いな、とか、長けていないなと私が感じる大人がいたとしても、彼らが経験したことは私とは全く別の体験であるし、もしかしたらある部分においては私が経験できなかったことを私よりも長い時間をかけて自分よりも多く積み上げている可能性があるよね。

 

マ:そうそう、それはなぜなら長く生きてるからね。

 

さア:まさしくそうなの!自分はその年数生きたことがないし、その人が得たことが知識であることには変わりがないな、と思ってて、私はそのアドバイスとか「えー聞いたらいいじゃーん」と思ってるし、年寄りのアドバイスはありがたく聞くようにしてる。

 

マ:僕が言いたかったのはそういうこと。それは君が賢いということだよ。つまり、アドバイスに耳を傾けないってことは、自分が経験できることを自分はわかれるけれど、人の経験を聞くことはできなくなるんだ。それが面白いことだよね。

 

さア:でも正味大体はみんな私がもう知っていることをしゃべってるんだ。

 

マ:ハハハ、そうだろうね、君はたぶん君の歳よりも経験が超越しているから。

 

さア:笑笑。だからいつも大人だからって賢いわけじゃないんだな、って思うんだよね。

 

マ:まったくだよ。僕もたくさんのファッキンステューピッドな大人に会ったことがあるよ。本当にろくでなしみたいなね。でも彼らはみんな自分は賢いと思ってるんだよ。ただ単に歳を取っているというだけで。

 

さア:あはは、そうだね〜。でも同時に人間は人に教えるということが好きだということもわかるんだ。いい意味でね。

 

マ:そうだよ、人に教えるとポジションが取れるし気持ち良くなれるからね。

 

さア:えー、そんなこと思ってるのかな。でも私が言いたかったのはそういうことじゃなくて、人に教えるってことは、知の継承だと思うってこと。失敗したことを口頭で伝承できるから人類が進化してきたと思うし、アドバイスする、という行為が人間たらしめる大きな要因である気がしてて。人類史がダンジョンみたいなものだとすると、先に死んでった人たちと同じ道を歩いたら死ぬ、それをわかってて同じことをする必要はないというか、同じことしてるとみんな死ぬ、っていう。だからアドバイスを与える人の心持ちがどうであれ、「アドバイス」って基本的には「親切心」だと思うし「ダンジョンの攻略法」だと思ってて。

 

マ:大抵の大人は気持ち良くなりたいだけだと思うけど。

 

さア:それって変だよ。人のためにしてるんじゃないの?あのさ、私の場合、人にアドバイスするってすごくフラジャイルだし介入するってことだからいつも躊躇うんだけど、年が下だったりすると特にね。私って別に何者でもないし。でも私があえてアドバイスするときはいつもその人の豊かな人生を願って口に出すことが多いよ。人生は短いし、もっと遠くまで深くまで到達するために失敗の試みを最小限にしてほしいからなんだよね。でも難しい、時に失敗することの方が学びの深さが深いことがあるから、失敗したらいいんじゃない?とも思うし。

 

マ:祖父が一つだけ僕にアドバイスをくれたことがある。祖父のことは話したことがないよね。

 

さア:聞いたことないかも。

 

マ:祖父は僕にとても偉大なアドバイスをくれた。世界にいる人々について彼は説明した。

「君にとてもいいアドバイスをあげるよ。百社百様の人生がある中で、誰にでも平等にたった一つ無料で貰えるものがある。それはアドバイスだよ。」

 

さア:間違いなさすぎる笑笑

 

マ:だからそれを使いなさい、ってね。

 

さア:100%同意する。

 

マ:わ、あの女の人、爪クレイジーなオレンジ色してる。

 

さア:明るい色だ〜、眩しいね!

 

マ:彼女にアドバイスしようかな、その色はやめた方がいいよって。

 

さア:余計なお世話すぎる笑笑。好きな色つけたらいいんじゃない笑笑。