影をひろいあつめて

毎日一言日記

会話2  ゴッホと個人単位の生涯実験

友人との興味深い会話を録音して書き起こすだけの企画第二弾

今回のゲストはHiraku。ロンドンで縁があって出会った。同時期に帰国し、帰国後新宿SANPO美術館で開かれている「ゴッホ静物展」を2人で見に行った日の会話。ゴッホの生涯とアウトプットから見られる、クリエイティブとの向き合い方について話した。

 

登場人物:Hiraku→九州の大学院を卒業後アメリカに留学。留学中に新鋭クリエイティブ集団のCEOに出会い就職。映像や企画のプロデューサーをしながら自身で写真での向き合い方を模索している。

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ゴッホ静物画」展: 新宿SANPO美術館にて1月21日まで開催。

ゴソゴソごそ。(録音を回し始めた音)

さア:うん

ひ:ボソボソボソ(マイクが遠くて何を話しているかわからない)
〜していたと考えられるっていいな。

さア:「ここに書かれているのは大コウモリの剥製である。この剥製は、当時ゴッホ静物画を教えていたヘルメスが所有していたものと考えられる。」(キャプションを読み上げる)笑笑

ひ:当時この人から色々借りて描きまくってたからこいつのじゃないか、みたいな笑

さア:そういうことだよね

ひ:いいな俺も100年後にこうやって巻き込まれたい。自分の創作物じゃなくて笑

さア:確かに、この頃この人と連んでたからこの人のだと思う、みたいなね笑

ひ:笑笑。ビハインドシーンとか撮りたいのもそれかも。巻き込まれたい。

さア:目撃者でありたいということだよね。というか目撃者であったことを何かを通して証明したい、みたいな。

ひ:副音声で聞きたいよな。「いや、俺これあいつに貸してねぇ」みたいな笑笑

さア:はははは、聞いてみて〜笑笑

ひ:や、コウモリの剥製とか趣味悪、みたいな

 

次の絵に移る
6世紀の画家が描写した生の魚の絵が2点に続いてゴッホの描いたニシンの燻製の静物画が展示されている。魚をモチーフにした静物画はその時代の豊さや画家の経済的余裕の誇示や絵の技術力をプレゼンテーションするためによく用いられたと考えられている。

 

さア:え、モチーフって本当にモティーフなのかな。(キャプションに書かれたモティーフという単語について言及している)

ひ:それ違ったらすごいよね。thじゃないの?

さア:え、モthiーフってこと?(英語のキャプションを読みながら単語を探す)あ、いや、 tiだった。

ひ:あ、これユトレヒト美術館からなんだ。俺ユトレヒト謎に行ったんだよね。

さア:えー、いいな、てかあえてユトレヒトだけ行ったんだ笑
私、パリは日数が短くて有名な3つしか行けてない。ルーヴルとポンピドゥーとオルセイ?

ひ:や、ちなみに俺は美術館に行ってない。ユトレヒトに行っただけ笑

さア:どういうこと、行っただけってことか、はははは!笑

ひ:東京に行った、みたいな感じでユトレヒトに行っただけの人笑

ーーーーーーー

さア:てかゴッホってこうやって画廊とか美術館とか行って過去の作品をみて、「俺もこれ描きてー!」って言って描いてたんかな。

ひ:皮肉ってたんじゃない?

さア:あ〜でも確かに、魚って描画するのに技術力必要だよね。

ひ:燻製にするってことは全く違うゲームしてるのかな

さア:いやでも燻製でも描画の難しさは残ってるんじゃない?まって、ブドウかわいい〜〜〜(果物の静物画群に移る。ブドウを描画した表皮のテクスチュアがプルプルしていている。)ブドウ可愛すぎる....

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ひ:この並びでロブスター強いな。

さア:確かに、あとあのカニが所在ないね。

ひ:これって実際に生物自体をスケッチするのかな。つまり、こういう果物や生物(ブドウ、もも、いちじく、マルベリー、すぐり、ロブスター、カニetc)って劣化が早いし、物自体の色素の変化が早い中で、どの時点で観察をするんだろうね、っていう。

さア:確かに。でもこの桃の赤みの部分とか、ロブスターの赤さみたいなところとか、色味の鮮やかなところを見ると、ちょっと非現実的な気はする。実際に並べてこの色にはならないよね、みたいな。あ、これ腐ってんだ。

ひ:これ虫どこにいるの?

さア:え、いるよ、ほらアプリコットの上。

ーーーーーーーー

ひ:静物画って全部にピントあってるんだね。

さア:え、でも絵にボケ足つけるのとかリヒターくらいしかいなくない?わかんないけど。リヒターの蝋燭の絵があるんだけど、それは蝋燭にフォーカスがあってて背景が全部ボケてる。

ひ:リヒターって抽象画の人?

さア:リヒターはカラー写真が出てきてからの人。

ひ:それ昨日同僚に言われたんだよね。そもそもレファレンスをどこに見つけるかというか。自分は写真の抽象度を上げることに今は興味があるけど、それをリヒターみたいに写真からの文脈で起こしていくのか、みたいな。だからそもそも自分が「解像度を下げる、抽象度を上げる」ということを何を用いてしたいのかということを、本読んでみないとな、ってなって、だからさっき言ったみたいに今西洋画の歴史の本読んでるんだよね。

さア:確かにね、写真やるにしても何にしても美術、というか美術史の勉強めっちゃ大事だからな。ちょっとブドウが可愛すぎて。ブドウかわいいな、もう一回見にいこ。あぁ、このマスカットが可愛すぎる、、このさくらんぼとかもめちゃくちゃかわいい、持って帰りたいな。

ひ:持って帰ったら怪盗キットでしょ笑

さア:こうやって脇に抱えて持って帰るからね。笑 てか違う、あの絵の中からマスカットだけもって帰りたいだけ笑

ひ:そういうことね笑

さア:誰だー!マスカットを取ったやつは!つって、ゲラゲラゲラ

ひ:巨峰にしておくか。巨峰になってたら、いろんな界隈がざわめくだろうね。この時代に巨峰があったのか、って考察始めるよ笑

さア:なるほどね、美術から見える風俗史みたいなことだよね。

 

果物の静物画の並びでゴッホ洋梨静物画がディスプレイされている。

 

さア:あー、なるほどね、宗教の文脈でいう晩餐的な豪華さや豊さの中の諸行無常さとか、短命なものの待ち受ける腐敗の気配みたいなものを描くことが従来の果物の静物画のメインストリームだったところを、ゴッホは「食卓」の洋梨を描くことによって力強さや、質素さを描いている、みたいなことなのかな

ひ:うーん

さア:まぁ確かに当時のゴッホの経済状況とか考えればってことだよね

ひ:ね、他の画家お金持ちだよね。

さア:だからゴッホが単純にああいう豪華で高価な果物を用意できなかったってことなのか、

ひ:そもそも目線が労働者にあるか、みたいなところでもあるみたいな

さア:もしくは「豊さ」みたいなものを描くことに興味がなかったのか

ひ:それか豊な絵を描いてきた画家たちと住む階層が違うからあれをイメージするというか、題材にするということがイメージできなかったとか

さア:んー、そうなのかな、どうなんだろう。でもそういう静物画を美術館や画廊で見てきたからこれを描いているんでしょ?

ひ:そもそもインプットとしてこれを見ているんだもんな、そうだね

さア:純粋に頭の中で変換されちゃったのかな。「ぢゃあ僕わぁ」みたいな笑笑

もしくは、そのパターンの中から描かれていない題材として「農民の食卓」という静物画のジャンルを意識的に戦略的に行なっていたのか、純粋に地頭で計算外で計算していたのか

ひ:あの豊かな静物画をチープに感じてしまったとか?豊かな果物の中にほのかに感じる「死」みたいなものを書き続けていることに「これではない」と感じた、とか

さア:そもそもその従来の高価な果物や生の魚を描いていた画家たちの気持ちはやっぱり気になるよね。どうしても当人の置かれている経済状況を誇示したい、という意図はやっぱり感じてしまうというか。

ひ:インスタ映え

さア:確かに、俺これだけの果物買えちゃうんだぜ、みたいな。だけど、それに虫をつけてみたり、ほのかな死を漂わせてみることで、豊かさを誇示したいというやましさとかイヤラシさに対する贖罪を試みているというか、罪を免れるための免罪符みたいな

ひ:それをゴッホが見た時に安直だな〜って思ったんじゃない

さア:ギャハハハハ〜

ひ:おではもっと地に足ついたもので描くわ、みたいなバイブス

さア:でも基本的に全てが対照的だよね。モチーフが。高価で脆くて美しいけど、基本的には「役に立たない」ものたちじゃんか、だけどすごいもんねこれとか(ゴッホのラフランスの静物画とカボチャとりんごの静物画を指差す)すごい実用的だよね。ラフランスって安価だし、市場でみんなが買えて、痛みづらい。

ひ:本当だ、本当に対照的だね。ロジックでやってたらすごいな。

さア:こう考えてみると、金持ちって短命なものが好きだよね。短命さに高価を見出しているというか。色彩が鮮やかでハイメンテナンスなもの、もしくは保存が効かない、ということに自分の豊かさを認める、みたいな。

ひ:ビジュアル的に華やかなものが短命、という説もあるよね。華やかさに人は惹かれて、華やかなものは摂理として短命な性質を持っている、みたいな。

さア:ただなんだろう、短命さに値がつく気がするな。機能的ではない短命なものを所持しているということがある種、それをメンテナンスするためにかかるコストだけ、経済的な豊かさを主張するという効果を持っている?みたいな?

ひ:すると金て真逆だね。

さア:確かに、でも金がもし月から大量に採掘できるとしたら、価値は下がる?

ひ:下がるね。や、でも金は埋蔵量の希少性もあるけど、そもそもマテリアルとしての特性が金属の中で優れている、加工しやすく汎用性が高い、という点においても価値が高い。

さア:あー、そうかそうか、そういうことか。それも含めて価値が一定なんだな。このカボチャの力強さすげぇ、、

ーーーーーーー

さア:えー、おもしろ、ゴッホってやっぱ研究してんだね。カラースタディとか絵でできることを実験してる歩みの展示なんだね。

ひ:また手紙でてきた。(ゴッホが知人に当てて書かれた手紙についてキャプションでメンションされている)ライン見られてるみたいなことか。俺もライン読まれなたいな。

さア:そういうラインしないと、あと死んだ後にラインを民主化しないといけないよね

ひ:恥しかない笑笑

さア:でも全てのライン上のログが見れるんだぜ、会話が。

ひ:やっぱ、ゴッホ絵うまいな(レファレンスになった絵を見ていう)

さア:それゴッホじゃないよ笑

ひ:恥ずかしい笑 これホンモノ?(入り口で聞いた他の閲覧者の会話の反復。内輪ネタ)

さア:ゲラゲラゲラ
あれ、こんなでっかい絵あったんだ、ゴッホって!(1メートル×40cm四方くらいの花の静物画を見て)

2人沈黙、絵を鑑賞、キャプションを読む2人

ひ:ボクサー2人の絵の上にこの絵描いたんだね

さア:なるほどねー、面白いね(人物画を描きたかったがモデルを雇うお金がなかったため、静物画を描いて絵の実験をしていたゴッホは、人物画があまり得意ではない。人間のケーススタディした絵は学習量が足りないため、やはり技術力の差を感じる。ということを含めた「面白い」)

さア:パリのオルセイで印象派展をしていて、他のマネやモネ、ルノワールドガの並びでゴッホだけ違う部屋で展示されてるんだけど、印象派の他の画家たちは大きなキャンバスに色彩豊かな絵の具使って描いている。「いいメシ」を食っているんだろうな、という生活の豊かさが絵から見て取れるんだけど、ゴッホの展示をその後にみるとなおさら、その生活の格差みたいなものを感じてしまって悲しくなったんだよね。一番有名な星月夜の小さい方の絵が展示されてて、60センチくらいの小さい絵で、どう考えてもこの人天才なのに、どうしてこの天才にこんな小さなキャンバスに皆は描かせ続けることができたんだろう、みたいなことに思いを馳せたら、悲しみに溢れてしまった笑

ひ:あー、だから絵の上に絵を重ねて描いてあるんだね。

さア:そうそう。それも含めてログなのも面白いよね〜
ゴッホの絵って筆一つひとつに力がこもってて、満足感がありますよね〜
しかし頑なにこのタッチで描いてるのってなんでだろうね。

ひ:生き急いだんじゃない?

さア:えどういうことだ

ひ:他の人の絵とか、あそこまで繊細に詳細に描いてると時間がかかるじゃん。色々描きたいが強すぎて、描きたい、とかかる時間の一番合わさるところがこのタッチだったんじゃない?一番負荷なくアウトプットを続けられる手法というか。

さア:あー、なるほどね、大事だもんね、体力と相談しながら自分の最も研究対象のサブジェクトを自分の感情との齟齬が最も少ない方法で、回転を速く試みる、っていうことは自分もよくする。でも勇気がいるじゃん、絵が描けない人だ、と思われたらネガティブなプレゼンテーションになりかねないというか

ひ:そのための実験だったんじゃない?研究の一本筋を残す。実験の意図を試みてるそのログがあったから後世に残してもらいやすかった、みたいな。

さア:うーん、確かに、これだけ特定的な議題をずっと研究し続けているのは美術史の中でもかなり価値が高いもんね。

 

階下の展示に移動する

 

さア:やっぱゴッホってADHDだよね、見たこと全部人に手紙で話すじゃん。私みたいだな。あのねあのね、あれやばくて、みたいな。聞いて聞いて、つって、見たこと全部話さないといられない感じ笑

ひ:確かに、でも逆にそうやって思考のプロセスをログで残して行かないと評価をすることができないんじゃない?みたいなところにもまた繋がってくるよね

さア:そうだね、そうだね。手紙書くのって大事だな。

ひ:その手紙の中に評価しうる題材があった、というところとか

さア:わかるわ、だから最近ログを外付けハードに記憶していかなきゃな、と思ってんだよね。この絵かわい〜〜〜〜、この、法則に沿って筆を動かしてる感じ、この筆の流れ気持ちいね。(ルノワールの白い芍薬静物画を見て)

ひ:これはこの花とこの試みの相関性ってどうなんだろう

さア:それはどっちもなんじゃないかな、こういう試みをしてみたかった、その試みに合いそうな題材を選んだ、とか。もしくは幾つか試してみた実験の中で芍薬を選んでみた結果、これが最もその筆との相性が良かった、それが試みの文脈で紹介する上で最もわかりやすい例、みたいな。

ーーーーーー

さア:ゴッホの素晴らしいところは、ゴッホの個人的な興味でずっと研究している題材があって、それを研究し続けた人がどういう絵を描くようになったのか、どういう実験を踏んで、あるいはどういう思考のプロセスを得て、最終的なアウトプットを常に出して行っていたこと、その先にその絵がどういう評価を持つことになったのか、ということを一つの研究結果のパターン、一例としてこの世の中に残されていることだよね。ちなみにゴッホって本当は人物画描きたかったけど、モデル雇うお金なくて自画像描いてたんだって。

ひ:そのこと最近よく考えてるんだよね。自分のやってる表現方法が効率が良くないな、みたいな。トライアンドエラーをするという点においてはフィルム写真って最もコストのかかることだよな、みたいな。取り納めてから現像されたものを見るまでのラグの長さとか、現像にかかるコストみたいな話でもそうで。

さア:サイクルを早くしていくことは大事だもんな。デジタルで、マニュアルで撮ってればフィルムと同じことではあるもんね。

ひ:カレーうどんくいてー。

さア:カレーうどん食いてーんだ、いいよー。この絵かわいー!!私は可愛い絵が好きです。うんちしたい。。

ひ:笑笑

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さア:また弟に手紙書いてる。ひまわりの絵描いたよ〜って笑笑
弟が一番の理解者だったからな。やっぱ、アナログの絵のいいところは絵の具の厚みだよね。

ひ:ティルマンスって写真家わかる?(ウォルフガング・ティルマンス)

さア:わかんない。

ひ:その人が写真で言ってて面白かった。

さア:というのは?

ひ:フランクオーシャンのblondeのジャケとってる人なんだけど、ビデオのインタビューの中で話してる内容なんだけど、彼は写真の展示をするときに、写真だけじゃなくて、写真の展示空間ごと売るんだって。この構図で飾れ、っていう。それは空間の中に存在している写真、二次元の電子データ的なあり方ではなくて、立体的な写真の在り方というか。やっぱり、次元を何かしら付け加えたいんだな、みたいな。

さア:んー、確かにね。写真ってデジタルでとってる限り、紙に出力してしまった時点で、デジタルでも紙でも変わんないからなー、みたいなところはあるよね。

ひ:やー、でも粒子感というか、出力方法にもよるけどね。インクジェットなのか手焼きなのかみたいなところで

さア:あーーーー、まあねーーーー、まあねーーー!

 

階下の展示に移動。

 

ひ:トイレあるよ

さア:あ、どうぞー、待ってるよ

ひ:や、君

さア:あ、あたし?あ、うんちか、大丈夫

ひ:あと8分しかないもんな。

 

さア:や、つまり。というのも、結局デジタルで写真を撮っているなら、デジタル写真はデジタルでみた方が互換性が高いというか、齟齬が少ない?出力するときに現れる「ラグ」というか「揺らぎ」みたいなものが少なくなる?みたいな

ひ:フィルムと比べて、ってこと?

さア:や、「デジタル写真を展示する」という行為において。デジタル空間ではなくて、3次元空間に出力する場合、ラグがいいこともあるけど、

ひ:ん、つまり、鑑賞するデバイス(モニター)の精度に依存しないってこと?

さア:あーーー、確かに、それはあるけど、違くて、
デジタル、という手法を撮る限り、さまざまな表現方法があるなかでデジタル写真という手法をとる限り、限りなく特定の時間を計算して撮るということを試みているはず、なのであれば、その計算された特定の時間の情報を最も元のデータとの誤差が少ない状態でプレゼンテーションする必要があるじゃん?そのためには、プリントする段階や、インクの互換性とか、そういうものによって生まれてくるノイズがあってはいけない、みたいな

ひ:あー、なるほどね、そうだね、情報の誤差で言えばそうだね。でも鑑賞環境、例えばウィンドウズのモニターで見るのか、高画質4Kモニターなのか、iphoneなのか、鑑賞環境をオーディエンスに任せたときに伝えられる情報量が変化する、という意味で言えばかなり誤差が生まれやすい状態ではある。

さア:あーー、デジタルカメラの持てる情報量に対してデジタルにおいての出力環境が一定ではない、追いついていない状態、ってことか。なるほどね〜。

ひ:その話をこないだもちょうどしてて、紙に出力して、空気抵抗のある空間で展示をする方法って最もデバイスに依存しない方法ではあるよね、今現在の裁量で言えば、みたいなことは話したな。

さア:その誤差を含めたデジタル写真であるかどうか、ということも重要だよね
やっぱこの人、人間描くの下手だね。(トルソーのデッサンを見て)

ひ:一番言われたくないと思うよ笑

さア:そうだよね、かわいそうだな。。人物描きたかったんだもんな...

 

蛍の光が館内に流れる。18:00

 

ひ:割ともうお腹いっぱいだな〜

さア:そうだね〜、カレーうどん食べに行こ〜

ひ:あ、トイレあるよ

さア:行ってくるね〜

 

前半(終わり)