影をひろいあつめて

毎日一言日記

愛しているよ、と言って

3度目の就職をしてから忙しさに言い訳をして足が遠のいていた実家へ帰省した。

久しぶりの実家には納屋が増設されていたり、鶏小屋にも新しい設備が設置されたり、もう両親も還暦を迎えたというのに、1年半も目撃していないだけで違う景色を見せてくるのだから、やはり「速い」人たちなのだと思う。食物もだいぶ安定して収穫できるようになっていて、食器を新調したり、カラオケで歌えなかった歌を歌えるように練習に勤しんだり、子どもたちのいなくなった分の余裕と余暇に両親は少しでも余生を楽しもう、としているみたいだった。金沢から栃木の辺境は移動の距離が長すぎたので、週末にも東京で用事があったこともあり、本当は2泊3日で帰ろうと思っていたけれど、実家の滞在を延ばした。母は私ができない仕事にブツクサと独り言を言う側で食事を用意してくれる。クリエイティブな料理をする母の出す食事は、どれも洒落ていて、盛り付けも美しく、豪華だった。母は私の行ったことのない、みたことのない国の料理を作り、いろんな種類の料理をちょうどよく同じ食卓に並べるのがうまい。私が仕事ができなくて落ち込んでいる時にも母は母で自分の孤独や寂しさと戦っていて、何気ない会話が飛躍しては、自分が世界であるかのように傷ついたりして、色々な小さなことで涙を流していた。けれど前みたいに怒鳴り散らしたり、家族でその憂さ晴らしをするようなことはもうあまりなくて、自分の中で悲しみを処理することが上手くなったみたいだった。私は、父とは、ほとんど会話をしない。

 


最後に帰ったのはいつだっただろうかと思い、インスタのストーリーズを見返したら、前回の帰省についてのストーリーズが一年前の4月になっていて、「今私はもう豊かになったからそんなに辛くなくなった」と書いてあった。親の人生を面白いと思える、と書いていた。その1日前のストーリーズには「縁を切って憎しみ続けたい」と書いてあった。

 


私が帰る時、母は家の前に立って、さようなら、さようなら、と言った。電車の時間が迫っていたが、母のところへ行ってハグをする。車の窓から母が大きく手を振っているのが見える。大きく手を振っていて、縮んだ体で悲しみに耐えているんだと思ったら、悲しくて、胸が痛くなった。悲しいと、なぜ胸が痛くなるんだろうか。駅まで送った父親に、ありがとうと言う。「元気で過ごしてね」と言ったら「努力する」それから父は「元気でな、次はいつくるんだ」と聞いた。ちょくちょく帰るよ、「金沢にも遊びに来なよ。ご飯をご馳走するよ。」今にも涙が出そうになる。この人たちは、死んでいくのに、死んでいくのに悲しくて、寂しいのだ。そして愛した子供たちは彼らを憎んでいる。この人は、この人たちは、そのことに気がついているんだろうか。